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瓦解

2009/12/19(土) 01:31:54
その時から、夜毎メッセンジャーで会話する日々が始まった。

同じパーティで知り合った人たちと会話する傍ら、Sが私に個人的なメッセージを飛ばして来る。
わたしが、自身の被虐嗜好を意識した、最初の会話も、そんな中で交わされた。

わたしにとって、このパーティメンバーとの会話は、正直なところ、そんなに楽しいものでは無かった。
共通の話題はゲームの話しか無く、それが尽きれば、大人数が好き勝手な事を発言する、単なるじゃれ合いになる。
現実世界においても、大勢でわいわいと過ごすのがあまり好きではないわたしにとって、そうなった時間は、その殆どが苦痛なものでしかなかった。
どうせ会話するのなら、脊髄反射の応酬の様な冗談の飛ばし合いではなく、もっとゆっくり何かについて話す事の方を、わたしは好んだ。
だから、只賑やかなだけの状態になると、わたしは遠慮なく会話から退席してしまう。

  あっちはもういい。疲れた。

そう言って、Sとの会話だけを続行する。

  何だお前、付き合い悪いな。

  うーん…
  ああいうノリには、着いていけない。


  相変わらず真面目な奴だな。
  こういう軽い会話を楽しめる様にならにゃw


Sは、近々催されるこのゲームのオフ会に、わたしを誘い出そうとしていた。

  この地区の連中も、みんなこいつらみたいな
  気楽に付き合える奴らだから、お前も来い。


夫からの離婚を言い出されて以降、病院に行く時以外で日のあるうちに外出する事など、絶えて久しいわたしには、到底応じられる話ではなかった。

  それは無理だな…。
  遠慮しておく。


  なんで?何が問題だ?
  楽しいぜ。


  仕事が、忙しいと思う。

  自営で、割と時間の自由が
  利くって言ってたじゃん。
  1日くらい、どうにか出来るだろ。


ゲーム内で申告していた偽りのプロフィールだった。
問い詰められて、オフ会参加を断る理由を出せなくなったわたしは、ついにSに打ち明けた。

  実は…働いてるってのは、嘘。
  ちょっと体調を崩して、今は無職なんだ。


  え。どこが悪いんだ?

  ちょっと、精神的に、ね。

ここで、馬鹿正直に答えたわたしは、きっと、誰かに自分の事を話してしまいたかったのだと思う。
誰かに、聞いて欲しかったのだと思う。

  ウツか。

  ん、まあそれもなんだけど、
  直接的には、注意欠陥障害ってヤツでね。
  知ってる?


  ああ。それ、俺も。

意外な返事が、あった。

  えっ?

  集中力がコントロール出来なくて、
  片付けられないってヤツだろ。
  俺もそうだよ。


  ええーっほんとに!?

  マジマジ。
  これ、中々周囲に理解されなくて、
  ツラいよなあwww
  ま、俺はウツにはかからずに
  上手く折り合ってるけどさw


わたしが、この言葉をあっさり信じたのは、彼のゲーム中や会話中の態度で、思い当たるふしが見受けられたからだった。
そうであるなら説明がつく…と思ったのだ。

初めて、わたしの辛さを理解してくれる人に会えた…。
そう思った途端、わたしは、パソコンの前で、溢れる涙を止める事が出来なくなった。

  そうなの…。
  なかなか理解して貰えない。
  だもんで夫に離婚言い渡されちゃってさ。
  ショックで引き篭もりになってるのw


  あらー、そうだったんか…
  まあ俺も別居中なんだけどなw


他人の前では、この人何だかおかしい…と思われたくない。
精一杯取り繕って、何ともない顔を、していたい。
でも、それではあまりにも辛い。
誰かに理解して欲しい。
でも、誰も理解出来る訳がない…。

そういうわたしの中の終着点の無い感情を、やっとの思いで堰き止めていたものが、一気に瓦解した瞬間だった。
この時わたしは、Sの前で完全に、自分を曝け出してしまったのだった…。




会う

2009/12/25(金) 16:32:31
やっとわたしの辛さを、理解してくれる人が現れた…。
そう思ってしまったわたしはその後、ひたすらSに甘える様に、なっていった。
メッセンジャーのみならず、携帯の番号やメールアドレスも教えあい、頻繁に連絡を取る様になっていた。

そんな中でも、ゲームのオフ会に参加する事だけは、わたしは頑なに拒み続けた。
外に、出たくない。
人の多い場所には、行きたくない。
人に会うのは、怖い。
そう言い続けていた。

そんなある日、Sから来た携帯メールに、わたしは愕然とした。

  起きてるか?
  これからお前んちの最寄の駅に行くよ。
  会いたくなければ来なくていいけど、
  外に出られる様なら、来いよ。


なんでそんな突飛な行動に!と訊いてみれば、仕事で、わたしの家の最寄り駅の路線に来たら、急に会いたくなった…との事だった。

  外に出られないってんなら、
  しょうがない。
  そのまま俺は帰るからさw


  突然そんな事言われても困る。
  会うなら会うで、別の日に
  ちゃんと約束して会おうよ。


  もうそっち向かう電車に乗ったw

呆然とした。

わたしの家は、田舎だ。
最寄の駅にしても、自宅からだと、車で峠を越えて1時間弱走らねばならない。
それに、昼間の時間帯だと、電車の本数も、30分に1本あるかどうか…というレベルなのだ。
そんな場所に来させて、放置しておく事など出来ない。
どこの駅から、何時に出た電車に乗っているのか確認し、最寄り駅に到着する時間を調べる。

  しょうがない…行くよ。
  駅の出入り口で待つ。
  (車種)に乗ってるから。


  どの出入り口出ればいいんだ?

  1箇所しかないから大丈夫。

  マジかwww田舎www

大慌てで身支度をし、家を飛び出す。

太陽が出ている時間に、病院に行く以外の用事で外に出るのは、随分と久しぶりだった。
ふと、庭がジャングルの様に荒れ果てているのに気付く。
まだ少し時間はある。
おもむろに、目立つ場所の雑草を抜き始める。
すると、近所の人が、声をかけてきた。

  あら~久しぶり。
  元気だった?
  ずっと姿見ないから心配してたのよ。

  あ…はぁ…元気です…すいません。

そこでちょっと雑談していたら、その家のご主人が今度、庭木の剪定をするから、うちも一緒にやってあげるという話になった。
いつもなら、庭師さんを呼んで、お願いする時期になっていた。
恐縮して遠慮したのだが、何でも最近ご主人のマイブームらしいので、剪定させてやってくれ、との事だった。
そういう話なら、お願いする事にする。
時間が来たので、挨拶をして別れ、駅に向かった。

駅舎前の駐車スペースで、Sの乗った電車が入ってくるのを見守る。
心臓が暴れ、呼吸が苦しい。
改札から、パラパラと乗客が出てくる。
Sは、すぐにわかった。
向こうもすぐに、わたしがわかった様だ。
車に歩み寄り、助手席のドアを開ける。

  こ…こんにちは…。

  や~、時間かかったw
  すげー田舎だなwww
  乗っていいの?


  あ…うん、乗って。

車を発進させ、駅前で信号待ちしながら、どちらにウィンカーを出そうか思案する。

  どっか喫茶店とか無いの?

  うん、どこにしようか考えてるの。

  そんな考え込む程店が無いのかw

  だって、田舎だもん。

  あー、駅前にも何にもない程だもんな。
  びっくりしたわw


店を決めて、車を動かした。
ハンドルを持つ手が、震えていた。





車中

2009/12/25(金) 19:07:25
喫茶店に到着し、飲み物を頼んで一息いれる。
改めて、挨拶をする。

  なんか照れ臭いなw
  メッセであんな会話してたと思うとw


あんな会話、とは、いわゆるエロ話の事だ。
ドSだのドMだの、最高何回イカせただのイッただの、そういう話題の事だ。
Sは、わたしのバストのサイズなどを思い出していただろうし、わたしはわたしで、Sのペニスの話を思い出していた。
彼は常々、普通にコンビニ等で売っているコンドームではサイズが合わない事、よく女性に「こんな腕みたいなの入らない」と言われて困る話などをしていた。
いつもこれを買っている、と、パッケージに馬の絵が描かれた特大サイズのコンドームを教えてくれたりしていた。

  でもなー、他の連中なんてガキだからさ、
  ああいう話で息抜きなんか、出来んだろ。
  やっぱお前みたいな、大人の女とじゃなきゃ。


  そう…?そういうもの…?

正直、他には何を話したのか、余り覚えていない。
多分、ゲームの話や、他のゲームプレイヤーの話をしていたと思う。
覚えているのは、終始手が震えてどうしようも無かった事だけだ。
コーヒーカップをソーサーに戻す度に、カチャカチャと音がするのが嫌で、何とか震えがとまってくれないものか、Sに変に思われたらどうしようか、そんな事ばかり考えていた。

そんな中、近いうちに、他の地域から1人ゲーム仲間が来て会う事になっているから、一緒に行かないかと誘われた。
わたしの家からも近い観光地に、朝から遊びに行く事になっているという。
そこなら、車で行って現地で落ち合えるだろうと言われ、それなら行ってみようかという気になった。
いきなり大人数に会うオフ会は尻込みしてしまうけれど、人数が少ないなら、わたしにもこなせそうに思ったのだ。

  朝にちゃんと起きてさ。
  太陽の下で動く事を思い出さなきゃだぜ。


  そうだね…。
  でないと、いつまで経っても
  社会復帰なんか出来ないもんね…。


  だろ?

喫茶店を出て、帰る事にする。
最寄り駅ではまだ電車の本数も少ないだろうと思ったので、もう少し本数の多い町中の駅まで、送っていく事にした。
Sは恐縮したけれど、この時は、わたしの方が、もう少し一緒に居たいと思っていた。
ようやく手の震えも止まり、極度の緊張もとけて、きちんと会話が成り立つ状態になれていたからだった。

車が街中に入り、少し渋滞し始めた。

  混んでるな。

  この時間、ここら辺はいつもこうだよ。

  なんか、悪いな。
  時間使わせて。


  ううん、どうせ暇なんだし。
  それに、まだ車も流れてるもん。
  もうちょっとしたら、ここ、
  全然動かなくなるんだから。


  そっか。

その時、Sの手が、伸びてきた。
Sの手は、わたしの乳房を鷲掴みにした。
わたしは、仰天した。

  ちょっ…!何するの!?

  わははははは!
  触ったった触ったった!
  運転中なら抵抗も阻止も出来るまいwww


  な…何考えてるのー!

  まーまー、このくらいでマジで怒る様な
  ガキじゃないだろー?


  そ…そりゃ…まぁ…。

そう言われると、何故だかわたしは言葉を失ってしまう。
ここで本気で怒って、それっきり相手にして貰えなくなったらどうしよう…と、考えてしまったからだと思う。
やっと、わたしの病気を理解してくれる人に会えたのに…。
その日の突然の来訪にしても、Sがわたしと同じ障害を持っているというのなら、話はわかる。
注意欠陥障害は、思いついた事をすぐに実行にうつしてしまう、衝動性も強いからだ。
ましてSの方は、他動性もある様子だったから、衝動的行動は、わたしよりも多いに違いない。
そうわたしは理解しようとしていたのだった。

  ほうほう、これがDカップの乳か。
  んで、左右で微妙に大きさが違うって?
  どれどれ?


Sは、わたしが怒らないと見るや、遠慮なしにわたしの乳房をまさぐってくる。
不愉快で、やめて欲しいけれど、どう言えば良いかわからない。
混乱するとわたしは、その時どんな感情を持ったのか、意識しない様にしてしまう。
傍から見ればその様子は、何をされても怒らない、寧ろ喜んですらいそうに見えた事だろう。

  こら、やめてってば。
  運転危ない、渋滞終わったし。
  事故ったらどうすんの。


  おお、そっかそっかw
  でも俺の触り方って、厭らしくないだろ?www


この時は、厭らしい意図がないなら、何故、乳房などをわざわざ触るのだ…という非難の気持ちが、少し湧いてきたと思う。
けれども、大人の女であるわたしだから、こういう行動が出来るのだろうと解釈すれば、本気で不快感を表明してはいけない様な気がした。

  …どうだろ…?
  ま、わたし乳は感じないから
  触っても無駄だよ。


  なーんだ、旦那に開発されてねえのかよwww

やがて車は、目的の駅に着いた。

  サンキュ、助かった。

そう言ってSは、1000円札をわたしに差し出した。

  何これ…?

  や、ガソリン代。

  要らないよ。

  だって俺の都合で車使わせたんだし。

  こうしてんのはわたしの意志でもあるよ。

  でもほら、悪いからさ。

Sは、ダッシュボードに1000円札を置くと、さっと車から降りてしまった。

  ちょ…要らないってば!

  まーまーいいから。
  仕事してねえんなら、金は大事だろ?
  じゃ、次は○日のミニオフでな!


  え…あ、待って、これ!

Sは、行ってしまった。
停車していた場所は、そのまま車を降りて追い掛けられる様な場所ではない。
わたしは、溜め息をついて、駅のロータリーから車を出した。


その日の深夜、メッセンジャーを立ち上げていたら、Sがサインインして来た。

  こんばんは。

  おー。今日はどうもなーw

  こちらこそ、かえって悪かったね。
  気を使わせてごめん。


  いやいやw

乳揉んだ挙句1000円…という不快感が、全く無かった訳ではない。
けれども、その気持ちを表明する気には、ならなかった。
向こうは、多少の猥談でも接触でも動じない女友達を期待している。
ならば、その期待には応えなければならない。
そう考えて、何でもない様に振舞っていた。

  で、会ってみてどうだった?
  普通に歳相応のおばちゃんで
  がっかりしたでしょ。


  お前こそどうよ?
  オッサンでがっかりしただろw


  そんな事なかったよ。

  俺もだよ。
  お前は、会ってみても、やっぱいい女だったよ。
  いつか抱きたいと思う。


心臓が、飛び跳ねた。
顔が、熱くなる。
この瞬間、わたしは、Sとのセックスに本気で興味を持っている事を、自覚した。






すれ違う

2009/12/26(土) 02:35:10
Sと、もう一人のゲーム仲間とのミニオフ会の日。

現地の駐車場で待ち合わせる事になっていたが、Sは、寝坊したという理由で遅刻してきた。
Sは、もう一人を宿泊先からピックアップした後、わたしと合流する事になっていた。
そこは、わたしの家からも車で2時間ちょっとかかる様な場所だったから、わたしは、現地で独り、3時間程の待ちぼうけを食らった事になる。
けれどもその日は、初対面のゲーム仲間が、とても気さくな女の子だったので、合流した後は楽しい時間を過ごす事が出来た。
後日、彼女のSNSの日記で、わたしの事を「ゆったり話す、もの静かで落ち着いた人だった」と評価しているのを見て、初対面の人に、奇異な感じを与えずに済んだ様子に、安堵した。

  だから言っただろ。
  お前は、第一印象でいきなり
  嫌われる様な奴じゃないってさw


  うん…安心した…。

  ゲームの中でも、
  お前と同じパーティに入ったことのある奴で、
  お前を悪く言う奴はいないぜ。
  それどころか、慕われてるじゃん。
  自信持てって。


  うん…いいのかな…自信持って…。


また、Sからの突撃を受けた際に約束した、近所の人が庭木の剪定をしに来てくれる日には、わたしが庭に出て作業の様子を見ていると、隣近所の人も出て来て、声を掛けてきた。
皆、家にひきこもって姿を見せないわたしの事を、とても心配していた事を、知った。
それだけではなく、結果的に、この時の近所の人との会話から、わたしの次の就職先までも決まったのだ。
わたしの周囲で淀んでいたものが、Sの突然の来訪を機に、一挙に動き始めた印象が、あった。

  これも、Sさんのお陰だよ。
  あの時、外に出なければ、こうならなかったもん。


  やー、大した事はしてないっすよw


その一方で、Sとのメッセでの会話に、わたしは、不満の様なものを感じ始めていた。

共通の話題は、ゲームか、ゲームプレイヤー同士の恋愛沙汰話。
わたしは読書好きで、Sも好きだというから、面白かった小説などの会話をしようと考える。

  ○○(作家名)のなんか好きで、
  片っ端から読んでる最中。


  あー、俺も好き。

  ○○(小説名)が特に好きかな。

  あー、あれは良かったよな。
  俺も好きだ。


  あ、やっぱそう思う?
  どのシーンが好き?


  もう忘れたw

  え…?

とか

  ○○(作家名)はお勧めだぞ。

  あー、○○(小説名)しか読んでないな。

  えー、○○(作家名)なら○○(小説名)
  読まなきゃ駄目だろー!


  そうなの?
  じゃ、今度探してみる。
  どんな話?
  触りを教えて。


  忘れたw

  え…?

とかいう状態になり、会話にならない。
もしかして、わたしと会話するのは嫌なのだろうか…とも思って、Sがサインインしても、こちらから話しかけるのを遠慮していると、どうしたんだ、と、声を掛けてくる。
離婚の話、あれから旦那と話し合ったか?などとも訊かれる。
どういう話になったかを説明していると、Sからのレスポンスが途絶えるか、「へー」とか「ほー」とか「www」とか言う相槌だけになったりする。
あれ…?と思っていると

  やー、何かあっちこっちから
  話し掛けられて、大変www
  今、会話ウィンドウ5個開いてるwww


などと言われる。
離婚の話は、腰を据えて聞いて欲しいと思うから、わたしは、じゃあそっちを優先して、落ち着いて話せる様になったら呼んで、と、Sとの会話を放置して、他の事を始める。

  まだ居るか?

  …あ、うん。
  話してもいいの?


  ああ。
  話せば楽になるだろ。
  俺には、聞いてやるしか出来んけど。


  …楽になるって言うか…
  話しているうちに、
  私の気持ちが整理されて、
  本心が見えて来る感じがする。


  ん、話しな。

そこで、話し始めると、またレスポンスが悪くなる。

  どうかしたの?
  大丈夫?


と訊くと、

  ごめw眠いwww

と返ってくる。
それじゃあまたの機会に…と、会話を終える…。

こんなすれ違いばかりが、続いていた。

それでもわたしが、Sとの接触を絶とうとしなかったのは、いつかセックスしたいとだけ考えていた訳では無い。

Sは、わたしの元夫と同い年だった。
しかも、会社を経営していた事がある、とも言っていた。
その会社は、将来性に影が差した時に、すぐに閉めたという話だった。
当時、元夫がわたしに申告していた離婚の理由は、会社の経営が上手くいかず、巨額の借金を背負う事になりそうだから、わたしに迷惑をかけない為に別れてほしい…というものだった。
わたしは、そんな理由では別れられない、借金は一緒に働いて返せばいい、と、突っぱねていた段階だった。
だから、わたしがSに相談する時は、ただ共感して欲しかった訳では無い。
話せば楽になる…という類の状態では無い。
似た経験をした男性の立場から、意見を聞きたいという気持ちが、大きかったのだ。

メッセンジャーでは、そんな機会には恵まれないに違いない。
そう判断した私は、Sに、直接会って話を聞いて欲しいと申し入れた。
結果、わたしとSの家の、中間地点にある街の駅で、Sの仕事が終わった後に落ち合い、一緒に夕食をとろうという事になった。

  いつか、お前を抱きたいと思う。

Sの言葉が、脳裏を過ぎる。
そのいつかは、もしかしたら、今夜かも知れない…。

夫の事を相談するというのに、こんな事を考えるわたしは、何とふしだらなのだろう。
そう思いながらも、何故か出掛ける直前に入浴する。
そんな自分を嘲笑しながら、身支度を整えて、待ち合わせの駅に向かって、車を走らせた。




車中再び

2009/12/26(土) 05:57:15
待ち合わせ場所の駅に着いた。
ここは、駅舎が大きなショッピングセンターに直結しており、併設されている映画館には、わたしも何度か来た事があった。
人の多い場所を忌避し続けていたわたしだったが、この時は、土地勘のある場所というのが、出掛けてくるのに躊躇しない理由となった。
無事にSと落ち合えた後、レストラン街で適当な店に入って、食事をする。
雑談に終始し、本題には入らなかった様な気がする。
食後にコーヒーでも…と思ったら、そのお店には、コーヒーが無かった。
コーヒーを飲める店に移動しよう、と、席を立つ。
会計伝票を、Sが素早く手にした。

  今日はわたしが誘ったんだから、
  わたしに払わせて…?


  いやー。駄目ーw

  そんな…それじゃせめて、割り勘にして…?

  駄目ー。
  いーじゃん、甘えとけってw


  んー…それじゃ、次のコーヒーは、
  わたしに払わせて。


  しょーがねえなぁw
  そんなに奢られんの嫌いかw


  そうじゃなくて…
  誘った方が出すのが当然と考えてるだけ。


  お前、ほんと、真面目だなw
  だから、色々煮詰まるんだぜ。
  もっと軽ぅーく考えろよ。


そんな問答をしながら、喫茶店に場所を移す。
けれど、そこもあまり落ち着ける雰囲気ではなく、本題を切り出す事は出来なかった。

結局、話し始めたのは、近くまで送っていくからと、Sを乗せた車の中でだった。
しかし、初めて走る道を運転しつつ、頭の中を整理しながら喋るのは、シングルタスクなわたしには難しく、話は途切れがちになる。
Sの案内で、車をひとけの無い路上に停める。

  ここなら、少しは落ち着けるだろ。
  話してみな。


  うん…ありがとう。それでね…

わたしは、本格的に話し始めた。
Sは、リクライニング・シートを倒して聞いている。
相槌が入るので、寝ているのではないと判る。
わたしも、シートを倒して少しリラックスし、話し続ける。

混濁していた頭の中が、整然としてくる。
元夫に対して蟠っていた感情が、輪郭を持ち始める。
わたしが、元夫に対して抱いていたのは、強烈な怒りの感情だった。

元夫の会社の経営が傾いた原因は、まだわたしが在籍していた頃に、このままではいけないと指摘していた箇所ばかりだった。
指摘する度に、「お前にはどうせ解らんのだから、黙って俺の言う事を聞いておけ」と言われ、悔しい思いをしていた。
そして、何よりも…。
元夫の経営していた会社は、そもそも、わたしが立ち上げた会社だった。
元夫も、ブレインとして参加してはいたけれども、それでも、わたしが創った、わたしの会社だと、わたしは考えていた。
わたしが創り、必死に育て、ようやく会社組織として軌道に乗り始めた時、代表取締役を元夫に明け渡したのは、わたしの意志ではあった。
代表者として人前に露出する事が増え、それはわたしにとって苦痛になっていたからだった。
元夫は、わたしの経営理念に、賛同してくれていると思っていた。
まさか「お前のやってたのは会社ごっこ。口を出すな。」と嘲笑され、全く違う経営方針の会社にされるとは、夢にも思わなかった。
その結果、どうだろう。
見事に会社が破綻しているではないか。
せめて、わたしが問題に気付いた時点で、なんらかの対策をしていてくれれば…と、悔しくて悔しくて、しょうがなかった。

その感情に気付いた時、わたしは、涙を流していた。

  悔しい…すっごい、悔しい…。

すすり泣くわたしに、Sが言う。

  そりゃ悔しいよなぁ、うん…。

この時、はっきり解った。
わたしの中には、借金を抱えながら元夫とやり直す気持ちなど、無かった。
夫婦なら、そうすべきだとは思う。
けれどもわたしは、夫として以前に、会社経営者として既に、元夫を軽蔑していた。
そんな気持ちを無視したまま、夫婦生活の維持など、最早到底不可能だ。

離婚を、受け入れよう。
そう、決意した。

その時、暗闇の中、Sの手が伸びて来た。
乳房を掴まれる。
わたしの呼吸が、嗚咽が、止まる。
Sの指が動いて、乳房を揉みしだく。
以前とは違い、その手には力が感じられた。
そうっと漏らしたわたしの溜め息は、Sの耳に官能的に響いたと思う。
Sは、わたしの着ていたカットソーを捲り上げ、その下に手を差し込んだ。
直後、「あ」と声を上げて、手を引っ込める。
おそらく、素肌が触れると思っていたのだろう。
しかしわたしは、下にキャミソールを着ていた。
予想に反した布の手触りに、意表を突かれたと同時に、理性も復活したのに違いない。
がたん、と音を立てて、助手席のシートが起き上がった。

  帰るわ。

  え…。

わたしも、シートを起こす。

  ここで、いいの?

  ああ、もう歩いてすぐだから。

  そう…あの…今日は、どうもありがと。

  いやいや。
  んじゃ、またな。
  気を付けて帰れよ。


Sは、素早く車を降りて、歩き出した。
わたしは、涙を拭いながら、後姿を眺める。
Sの背中から、その心情を、読み取ろうとする。
疲労している様にも、満足している様にも見えた。
Sの姿が完全に見えなくなるのを待たず、わたしは、車のエンジンを始動させた。





育ち始める

2009/12/26(土) 09:03:34
  この間は、仕事の後に、遅くまで
  どうもありがとうね。


メッセンジャーで、Sに話し掛ける。

  あー、いやいやw
  泣いたらすっきりしたんじゃね?


  んー…すっきりしたというか…
  自分の中に、こんな感情があったのかって
  気付く事が出来たし、今後の方針も決まった。


  そかそか、そんなら良かったw

あの時、去っていくSの背中に見えたのは…疲労と、満足感だったと思う。
それを確認してみようという気になる。

  Sさんてさ…据え膳状態のわたしを前に、
  誘惑に負けない俺って理性的!
  ストイック!…って、悦に入ってたり、しない?


  あー、そういう部分はあるねw

なるほど、それが、背中に滲んでいた満足感の正体か…と、わたしは納得する。

  …乳、また揉んだね…

  wwwww
  まー、あんま気にすんなw


  ひどいよなぁ。
  女にも性欲ある事、知らないの?


  ばーか。
  他の男の事で泣いてる女なんか抱けるか。


(そういう台詞は、指一本触れなかった時に吐けよ)という心の声を、無視する。
(わたしの話を聞きながら、あんたは、いつわたしの乳を揉むかって事しか考えてなかったのか?)という声も聞こえたが、これも、無視する。

この時のわたしは、おそらく吊り橋効果に嵌っていたのだと思う。
メッセでも、実際に会った時でも、わたしは極度の緊張状態にあった。
だから、その時目の前に居た異性に、恋愛感情を持ってしまった。
また、Sとの会話がきっかけでわたしは、自分の中で眠っていた、被虐嗜好を自覚する事にもなっている。
更に、Sは、わたしの障害の苦しさを、身を持って知っている。
わたしの最良の理解者になる筈だ…という妄信が、心の中で呟く声を、片っ端から掻き消していた。

Sのレスポンスが、悪くなる。

  ああ…また複数ウィンドウ?

  そうwww
  もー皆なんで俺と話したがるのwww


  それだけ頼りにされてるって事じゃない?

これは、おそらくSがそう言われたいんじゃないかと思って言った言葉だった。

  そんな出来た人間じゃないんだけどなwww

あ、正解だったかな…と、考える。

ゲーム仲間と賑やかにメッセで盛り上がっている最中、Sが、「しのぶは俺の奴隷だもんな」とか「ほほう、俺にそんな口利いていいのかな?(ニヤリ)」とか発言する事も、増えてきていた。
皆の前でのわたしは、女だというカミングアウトはしていたものの、折に触れてそれを疑問視される状態だった。
つまり、偽りのわたしを、演じ続けていた訳だ。
だから、こういう発言をされると、内心穏やかではない。
素早くSへの会話ウィンドウを立ち上げて、抗議する。

  ちょっと、やめてよ。
  思わせぶりな事言わないで。


  やーい、焦ってやんのwww
  本当のお前の姿を、皆にバラしてやりたいwww


  マジで、やめて。

  バラす訳ねーだろwww
  マジになるなってw
  こういう軽いやり取り、
  お前も身に着けんと、
  今後も辛いだけだぞw


わたしが不快感を表明すると、Sはそれを、わたしの真面目さの所為にする。
そして、自分の様に軽いノリにならないとウツは治らない、と諭す。
軽くいなせるのであれば、わたしは最初からウツになどならなかったのだ。
そう反論しても、「ま、俺との付き合いで、この軽ぅーいノリを覚えていきなw」と言われてお仕舞いだった。

そして、わたしが言いたかった事の本質は、そこでは無い。

皆の前で、俺だけが知っている事があるんだぞ、と仄めかさんばかりの言動を、やめて欲しかった。
他の人に、この人にはどうやら、あまり大っぴらに言えない事情があるらしいと、気付かれてしまうからだ。

白鳥が湖に浮かぶ姿は、とても優美に見えるが、水面下では必死で足を動かしているという。
わたしは、自分が白鳥だと認識されたら、水面下で足掻く足など絶対に見られたくはない、見られたら白鳥やめる…とまで考える人間なのだろう。

それを伝えたいと思っても、「まーた糞真面目に考え込んでやがるw」とあしらわれるのが落ちで、Sには結局理解して貰えなかった様である。

こういう事を繰り返す度に、Sにわたしの全てを曝け出したのは、大失敗だったのでは…という思いが、常に心の奥底で根を張る様になっていった。






憤る

2009/12/28(月) 14:44:14
心の奥深い部分では嫌悪感や軽蔑を覚えつつも、それに気付かぬフリをして、目の前に迫ってくる現実から逃避したい一心で、毎晩の様にメッセンジャーで会話する毎日が、続いていた。

そんなある日、わたしのPCの、周辺機器の話になった。
Sは、PCに詳しく、自作PCを組む程だと言うので、ちょうど購入を検討していた機器の事を、相談してみたのだ。

  あー、それなら、これのがいいかなー。

  え、さっき教えてくれたのと、どう違うの?

  それはだな…

  んと、わたしがやりたいのは、これね。
  それだと、どっちがいいのかな?
  一番簡単かつリーズナブルに
  実現できるのを教えて。


次から次に、これもある、こんなのもある、と教えてくれる。
一体何を購入すれば良いのか、聞いていて段々混乱してきた。

  まー○○(某電気店街)は、俺の庭だねw
  ○○(PC店)じゃ俺はカオだし、
  △△(PC店)も、割と俺の言う事聞いてくれるw
  かなり安く買い物してるぜwww


  あ…そんじゃさ、今度買い物に付き合ってくれない?
  今こうしてあれこれ悩んででもしょうがないし、
  安くなるんだったら、とても助かる。


  あー、そだな。
  あと接続してセットアップしなきゃいかんし、
  それもお前だと苦労しそうだしなww
  買いに行って、その後やってやるか。


ふと、そのセットアップは、どこでやるのか…という疑問が浮かんだ。
Sの家だろうか…?
そんな所に行けば、今度こそ、乳房を揉まれるだけでは済むまい。

それでもいい。
考える事を、やめる。


わたしは、何故あんなに、Sに抱かれたかったのだろう?


皆とメッセで会話している最中に、Sからわたしへの個人的なメッセージが飛んでくる。

  まんこに指を入れろ。

  ちょ…何なのいきなり。

  黙れ。命令だ。
  指を入れろ。


  …生理中だから無理…。
  勘弁してください…。


  また生理かよwww
  上手く逃げやがったなwww
  ま、今日はこのくらいで許してやるか。



そんな感じの会話が、繰り返されていた。
長い間、無意識下に封じ込めていた性欲と被虐嗜好を刺激されていたわたしには、それを不快に感じる余裕は無かった。
こんなわたしの本性を知るSなら、わたしを精神的にも性的にも満足させてくれるに違いないという妄信が、あった。
Sに対して感じ始めていた不信感は、それよりも数段強烈な、満たされたいという欲望によって、容易く駆逐されていた。
それだけでは無い。
度々聞かされていた、Sの巨根自慢やセックステクニック自慢を、体験してみたいという好奇心も、とても強かった。
だから、会って、そういう機会が訪れるのを、わたしは求めていた。


  それじゃ、○日に、よろしくね。

  ラジャw

待ち合わせ予定を決め、会話を終える。
マップサイトを開き、待ち合わせ場所の住所をメモする。
カーナビに登録し、所要時間を確認する。

Sとの付き合いで、外に出る事、人の多い場所に行く事は、出来る様になった。
だが今度は、全く土地勘の無い場所での待ち合わせである。
きちんと辿り着けるだろうか…と、既に緊張し始めていた。

約束の当日。
早起きをして、入浴する。
手が、微かに震えている。
大丈夫…独りで行くんじゃないから、Sさんも居るんだから、そんなに緊張しなくても、大丈夫…。
自分に言い聞かせながら、身支度を整える。
その時、携帯メールを受信した。Sからだった。

  ごめw今日キャンセル。
  用事が出来たw


  えー!用事って何、仕事?

  仕事じゃないけど、ちょっとな。

  具合でも悪いの?

  や、それはだいじょぶ。

仕事じゃないのなら、わたしと会う事より優先度の高い私用が入ったという事だ。
しかし、わたしとの約束は、数日前から決まっていた。
わたしなら、余程の事が無い限り、仕事以外の私用は、決定した順番が優先度となる。
当日の朝になってドタキャンするなんて、かなり体調が悪い時か、その予定そのものが、どうしても行く気が起きぬ程、嫌で嫌でしょうがない時くらいだろうか。
Sは、わたしとの約束が、そんなに嫌だったのだろうか…?
けれどもメッセで会話していた限り、そんな様子は見受けられなかった。
そして、わたしなら、ギリギリのタイミングでキャンセルする時は、仕事を理由にするだろう。
体調不良を理由にすれば、相手に心配までかけてしまうし、仕事以外を理由にすれば、ドタキャンされた真の理由をあれこれ思い煩わせてしまう。
だから、仕事と言っておくのが一番無難だと考えていた。嘘も方便である。

  ごめwwww
  必ず埋め合わせするからwww


  しょうがないな…。
  じゃ、またの機会にという事で。


  すまんwww

携帯電話を放り出し、虚ろな気持ちで部屋着に着替え、布団に潜り込む。

何故、ドタキャンされたのだろう…?
今日会えば、男女の関係に進展する可能性が非常に高いと思っていたのは、わたしだけではあるまい。
Sは、それを忌避したのだろうか…?
だが、Sは、奥さんと別居して以降、3人ほどと付き合ったと言っていた。
Sのペニスを見て、「こんな腕みたいなの入らな~い」と言ったという女性たちである。
関係の発展を拒む様な、奥手な部分があるとは思えない。
とすれば、口では抱きたいなどと言いつつ、実は、とてもじゃないけれどわたしはそんな対象ではない…と考えているという事だろうか…?

突然生気を失い、横臥して動かなくなってしまったわたしの顔を、犬が、心配そうに覗き込む。
視線を合わせてやると、安心した様子で尻尾を振り、遠慮がちに顔を舐めてきた。
その頭を撫でてやりながら、薄く笑う。
まぁ…こんなに精神の均衡を崩してる女なんて、後々どんな地雷になるやらわからないし、進んで関係しようとは普通は思わんわな…。
己を嘲笑しながら、横に寝そべった犬を抱き寄せ、眠った。


その夜も、懲りずにわたしはメッセンジャーを立ち上げる。

  おー、今日はごめんなw

  いや…用事って、何だったの?
  首尾よく終わった?


  あー、まぁなwww
  大丈夫だよん。
  今度埋め合わせするわな。


今度…今度って、本当に、あるの…?
本気で、今度って機会を、作る気ある…?
そう訊きたい気持ちを、抑える。

  でもま、さ。

Sが、続ける。

  こうしてドタキャン出来るのも、
  俺とお前の関係だからなんだぜ。


  え…何それ、どういう意味?

  こんな事くらいで壊れる関係じゃない。
  そんな軽いもんじゃないだろ、
  俺とお前の関係は、さ。
  だろ?



この時、心の中で膨れ上がった憤りは、いつもの様に気付かないフリをする事は、出来なかった。
何なんだろう、この言い草は。
そんな表面的なお綺麗な言葉で、わたしの自尊心が擽れるとでも思っているのか。
これでわたしの機嫌が良くなって、丸く納まるとでも思っているのだろうか、この男は。

怒っては、いけない。
この人のお陰で、わたしは、外に出る事が出来た。
外に出られたお陰で、もうすぐ就職も決まりそうだ。
近所の人とも、緊張せずに話が出来る様になった。
怒っちゃいけない。
この人の、お陰なんだ。

そう考えて、怒りを鎮めようと、努力する。

  ん…そだね。

やっとの思いで、そう返答する。

  ん。判ってるんなら、いい。
  そんでさ~…


Sは、これでこの問題は終わったとばかりに、他の話題に切り替えた。
わたしも、己の怒りを封じ込めて、その会話に付き合う…。いつもの夜となった。

しかしそれから数日後、決定的な出来事が起きる事になる…。





直視する

2009/12/28(月) 21:36:46
  これから、面接に行くよ。
  無事に決まる様、祈ってて。


Sに、そうメールを送り、わたしは携帯電話を畳む。

近所の人の伝で、決まった話だった。
期間短期の契約社員で、仕事内容も単なる事務との事だし、わたしのリハビリとしては、とても適当な仕事と思われたので、話を繋いで頂いたのだ。

緊張しながら面接を受け、無事に採用される事となった。
初出勤の日も、決まった。
安堵と喜びに満ち溢れ、Sにメールする。

  決まったよ!
  ○日から、働きに行く事になった。
  どうもありがとう!
  これも、Sさんのお陰だよ!


Sからの返事は、無い。
これは、少し珍しい事だった。
しかしあまり深くは考えず、いよいよ引き篭もりを卒業して、社会に踏み出す事になったという現状を、その喜びを、噛み締める。

Sと連絡がついたのは、数日後のメッセンジャー上でだった。

  就職決まった様だな。
  おめでとう。


  んー、ありがと。
  暫く出て来てなかったね。


  ああ。実は、知り合いが自殺してさ。

  …えっ?

  バタバタしてて、連絡出来なかった。
  すぐにおめでとうを言いたかったんだが、
  お前から決まったってメール来た時、
  俺は、遺体確認の為に警察に居たw


絶句した。
すぐに思い当たる事があり、それを口にする。

  もしかして…例の、あの子…?

  そ。



いつだったかの深夜、メッセでSと二人で会話していた時、Sからのレスポンスが暫く途絶えた。
寝てしまった…?と思った時、返答があった。

  すまん、ちょっと出掛ける。

  は?これから?
  夜中の3時だよ?


  ああ。急用が出来た。
  そんじゃ、またな。


Sは、あっさり会話を打ち切り、メッセをオフにした。
普通の社会人が、こんな時間に急用で出掛けるって、何なんだろう…?
不思議に思ったが、その疑問は、すぐに解消される事となる。

  お前、自殺未遂とか、
  してねえだろうな?


後日、メッセでわたしの話を聞いていたSが、突然言い出した。

  自殺未遂?
  リストカットとか?
  してないよ。


  そうか。それならいい。
  あれは実際、周囲の人間が大変なんだ。
  俺の知り合いに、やたらリスカする奴が居てさ。


  もしかして…こないだ3時に、
  急に出掛けるっての…その子の関係…?


  あー、そうそう。
  リスカしたって電話があってさ。
  行って、宥めてきた。
  もー大変www


それから暫く、Sは、その女の子の症状や障害内容について、色々と話していた。
その内容は、わたしが聞いていても、悲惨で気の毒で、同情する余地は充分あった。
けれどもわたしは、リストカットについては否定的な考えの持ち主だった。

わたし自身も、根強い自殺願望に、翻弄されている人間だ。
けれども、その手段として、リストカットは候補に挙がらない。
手首は、余程深く切り裂かないと、死には至らないと聞くからだ。
わたしにとって、わたしが行うリストカットとは、周囲に対する「わたしはこんなに辛いの。苦しんでるの」というデモンストレーションに他ならないものだった。
わたしは、自殺を企図するなら完遂させたい、未遂で終わらせるのだけは絶対に御免だ、と考えていた。

もっとも今、実際にリストカット癖で苦しんでいる方に対して、この考え方を用いて説教などをする気は、毛頭無い。
手首を切る事によって、本当に精神の安寧が訪れる方も、生きていく気力が湧く方も、確かに居るのだろうと考えている。
あくまでも、わたしにとっては、己の辛さのアピールに終わる様に感じるから、わたしはやらない、というだけの話である事を、ご理解いただければと思う。

その時も、その考え方を、Sに説明した。

  だからわたしは、リスカはしないよ。

  あー、まぁ確かにな。
  最近は、デモンストレーションになってて、
  俺に構って欲しいから切ってるだけって印象も
  受けてるんだよな。


  そう思うんだったら、相手しないってのも
  選択肢なんじゃないの?
  振り回されるのが、
  本当にしんどいんだったらさ。


  そだな。考えとくわ。
  つーかお前、リスカしない、じゃなくて
  自殺しないって言えよwww


  あーwww
  まー考えない様になれればいいけどねーw


そんな会話をした事を、思い出す。



  何で、死んだの…?

  薬。○○(薬品名)と、酒。

その薬品のオーバードーズで死ねるとは…と、不思議に思った。
アルコールと併用したのが、奏功したのだろうか。

  いいか、お前、絶対に死ぬなよ。
  死んでも、楽にはならないぞ。
  すげー苦しそうな顔してたよ。
  吐血してたしさ。


その薬品で、吐血…?
それは、聞いた事が、無い。
死後数日経っていたという話だから、口内の粘膜がすでに腐敗し始め、液状化して流れていただけではないだろうか…?

確実に死ねる方法を模索していた時期に培った無駄な知識が、わたしの中で、囁いている。

完遂してしまった彼女に対する羨望が、夕立直前の雲の様に湧き上がる。

その一方で、わたしが完遂してしまうと、Sの立場を務めるのは妹になるだろう。あの子に、こんな思いをさせる事だけは回避しなくてはならない…という思考が、その羨望を霧散させようともしている。


  ともかくさ。
  んな訳で、暫くお前の相談乗るとか、
  無理だと思うわ。
  まずは俺が立ち直んなきゃw


  ん…そだね。

  元気出てきたら、またゲームに参加したり、
  メッセに上がったりするから、
  それまで時間くれるか。


  ん、わかった。

  あ、そうだ。仕事、頑張れよ。

  うん、ありがと。

そうして、その日の会話は、終わった。

Sの居なくなったメッセンジャーのウインドウを見詰めたまま、暫し呆然とする。
わたしは、自分の中に「死んでしまいたい」という願望が、依然根深く居座っていた事実を、この出来事によって強く意識し、真っ向から直視している状態に陥っていた。
誰かの自殺を機に、絶対に自殺するな、と言われた、その言葉が呼び水になってしまうとは、何という皮肉だろう…と、考えずにはいられなかった。





復活する

2009/12/29(火) 00:56:53
その件から約1ヶ月半は、わたしも新しい職場に慣れるのに必死で、直面している数々の問題を、無視する事が出来ていた。

朝、早起きして仕事に行く。
夕方から夜にかけて帰宅し、少し自由な時間を過ごして、寝る。

Sの居ないメッセに上がって、居合わせた誰かと話をしても、日付が変わる前には会話を辞して床に就く。

週末の膨大な自由時間を持て余す他は、ただひたすらに、淡々と、社会人としてやり直す事だけに、注力していた。

ゲームへの参加も、控えていた。
参加すれば、規則正しく生活する事が難しくなるのは、目に見えていたからだった。


そんなある日、やっとSが、メッセンジャーに現れた。

  お前、尊敬されてるなwww

  あ…!お久しぶり!
  で、藪から棒に何の話よ?w


  ここ、見てみな。

教えられたURLを見に行くと、バトルが終了したパーティの、フリータイム中の会話を閲覧する事が出来た。

  あ、ゲームに復帰してたんだ?

  うんw

そう言いながら、会話にざっと目を通す。
その中では話題が、尊敬するプレイヤーの話になっており、一人のプレイヤーがわたしの名を出してくれていたのだった。
そのプレイヤーのIDを見て、わたしは微笑んだ。

  あー…この子、続けてるんだねー。
  良かった…。


以前、同じパーティでプレイした時、初参加で勝手が判らずテンパっていた様子だったので、ちょっと手助けしたプレイヤーだった。
かつてわたしが初心者で、どうして良いか判らずにオロオロしていた時も、さりげなく助けてくれたベテランが居た。
そのベテランのお陰で、わたしは、途中で挫けずに最後までバトルを楽しむ事が出来たばかりか、それ以降もこのゲームを続けようと考えられる様になった。
わたしよりキャリアの短いプレイヤーを手助けする事は、あの時にわたしを助けてくれた、ベテランに対する恩返しの様なものだった。
それを、尊敬している人…なんて言われて名を出されると、何ともくすぐったい気持ちになってしまう。
照れ笑いしながら会話を読み進めていたわたしは、それに続くSの言葉に、眉根を寄せた。

  あー、しのぶなー。
  俺、よく知ってるwww
  あいつ、俺には逆らえないんだぜい♪


まただ…。
また、こういう事を言っている…。
Sが参加したバトルの後、わたしの名が出されると、わたしと親しくしている…と言い出すのは、それまでにも何度か目にしていた。
その度に、わたしの中で、不快感が一瞬身じろぎするのを感じていた。

それは…わたしがどういう風に言われているか、という問題ではなく…。

例えるならば、芸能人や有名人と親しいのだとアピールして、「えー、すっごーい!」と言われると、自分が凄い様に錯覚して悦に入る人物に対する不快感だ。
わたしなどは、こういうタイプの人に会うと、(別にあんたが凄い訳じゃないじゃん)とか(だから何だよ?)とか考えてしまう。

  またこんな事言ってる…。
  みっともないから、やめた方がいいよ。


  えーw別にいーじゃんwww
  それとも、真の姿がバレそうで怖いか?www


ああ…駄目だ。
わたしの言いたい事は、伝わっていない…。
けれども、久しぶりに会えたSに、いきなり文句を言い続けるのも憚られたので、それ以上は何も言わなかった。

  わー!
  なんか皆が一斉に話しかけてくるwww
  大変wwwww


これは、予想がついた事態だった。

  皆、Sさんが来るのを待ってたんだよ。

  そうなんかなw
  ただの軽いオッサンなのにwww


そう…。
何故、Sとの会話を、こんなに心待ちにしてしまうのだろう…?

わたしの場合は…やはり、わたしの全てを理解してくれるのは、この人をおいて他には居ない、と思っているから。

だとすれば、他の子たちは…?

Sと会話する子の多くは、同じゲームをしている、わたしよりはるかに歳の若い、女の子プレイヤーだった。
そしてわたしは、彼女らの話を、Sから、

  お前だから話すんだけどさ…

という前置きと共に、よく聞いていた。
誰の事を好きか。
誰と付き合っているか。
どんなデートをしたか。
今の悩みは、何か…。

Sは、他の女の子に対しても、自分を理解してくれるのはこの人だけ、と思わせている。
だから彼女たちは、Sに込み入った話を聞かせているし、Sがメッセに上がれば、喜んで話し掛けて来ている…。

ところで、このわたしの、不快感は、何だろう…?

嫉妬だろうか…?

いや、そんな単純なものでは、無い様な気がする…。



…ふと時計に目をやり、慌てた。

  あ、わたし、そろそろ寝なくちゃ。
  明日も仕事だし。


  おー、頑張ってる様だな。

  うん、何とか上手くやってるよ。

  そかそかw
  ま、俺も何とか元気だからさ。
  またゆっくり話そうぜwww


  ん、了解。そんじゃ、またね。

わたしは、もやもやとした気持ちを抱えたままサインアウトし、PCの電源を落とした。
暫く思案するが、もやもやの原因が、どうもよく解らない。

  …ま、いいか。
  Sさんが復活した事を、喜ばなくちゃね…。


そう口に出して思考を打ち切り、歯磨きをする為に、立ち上がった。





豹変する

2009/12/29(火) 03:17:24
Sが復活してから暫くして、仕事にもすっかり慣れてきた頃、元夫との間で、何か、揉め事があった。

今となっては、それが何だったか…と言うよりも、どの件だったのかが思い出せないのだけれど…ともかく、わたしは、再び非常に不安定な状態に陥っていた。

  ね、会って欲しい。
  話を聞いて欲しいの。


わたしは、Sに、懇願する。

  今は、会えない。

Sの返答は、素っ気無い。

  どうして?
  助けてよ。お願い。


  今会ったら、俺は、お前を抱いちまう。

  それでもいい!
  Sさんがそうしたいなら、
  それでもいいよ!


  俺は、お前を、そんな形で
  抱きたくないんだ。


PCの前で、落涙する日々が続いた。
メッセンジャーで会う度に、こんな会話になってしまう。

  話して、楽になって、
  思考を整理したいんなら、
  メッセで充分だろ?


そうは言うけれど、Sの返答の変化で、別の誰かとまるっきり違う話題で盛り上がっているのは、すぐに解ってしまう。
わたしがしたいのは、そんな片手間で聞かれても構わない様な話ではない…!

そう訴え続けても、Sの返事は、変わらなかった。

この時の自分の心理状態を、どう表現すれば良いのだろう…?
長い間、考えていたのだが、最近どこかのサイトで、とても的確な表現を、見付けた。


──自殺者に必要なのは、
   言葉を捻ったカッコイイ言い回しの説得ではなく、
   目の前にあってすぐにすがりつける
   即席の希望だってばっちゃが言ってた。──


最後の「ばっちゃが言ってた」の「ばっちゃ」が誰かは判らないけれども、あの時のわたしの精神状態は、まさにこれだったのだ…と、納得する事は出来た。

Sの知り合いの一件からこちら、常に直視していた、わたしの自殺願望。
これから目を逸らす為に、わたしは、Sに抱かれる事を、切実に欲していた。
それが、わたしの目の前にあって、すぐに縋り付けそうな、即席の希望に見えていた。
Sの言葉から、わたしを抱けば、Sもきっとわたしを必要とする様になる…という可能性を感じてもいたから、尚更だった。

ある時、完全に取り乱したわたしが、自殺願望を口にしてしまった時、Sが豹変した。

  お前、その話題は、
  俺のトラウマを抉るって事、
  解ってて言ってるんだろうな?


  それは…解るけど…
  それなら、教えてよ。
  Sさんは、死にたいと思った事無いの?
  あるなら、どうやってそれを克服したの?


  俺には、養うべき妻と子どもが居る。
  お前には、何も無い。
  この事実だけでも、俺のケースに当て嵌めて
  考える事などナンセンスだと解らんか?


  そんな…!
  それじゃ、俺の様に生きる事を覚えろっていう、
  あの言葉は、何だったの?


  とにかく、生きるの死ぬのいう話に付き合うのは、
  もうウンザリなんだよ。
  俺をこれ以上傷付けて、面白いか?
  勘弁してくれ。


  そうじゃない…
  そんな訳ないじゃない…
  話して楽になるなら、聞いてやるって…
  Sさん、言ってたじゃない…


  でも、生きる死ぬの話になるなら、
  俺は聞かない。聞きたくない。


  どうして!
  ここまでわたしをボロボロにしておいて、
  どうしてそんな事を言えるの!?


  はあ?
  何の話だ?
  俺が一体、お前に何をした?


  わたしの本当の姿を引き摺り出して!
  いつか抱きたいとか言って気を持たせて!
  お前は俺の奴隷だとか言って楽しんでたじゃない!


本当はこの時、「乳まで揉んでおいて」と付け加えたかったけれど、それはさすがに、あまりにも自分が惨めな様で、口に出来なかった。

  はああ?www
  そんなの、俺がそうしろと頼んだ事か?
  お前が勝手に曝け出したんだろ。
  抱きたいとか奴隷だとかも、
  あんなのは只の遊びだ。


わたしは、完全に、言葉を失った。

  大人同士だから出来る、
  ちょっとしたエロトークだろ。
  もしかして、それを真に受けてたとか言うのか?
  まさかだよなwwwww


最早反論の言葉は、出て来なかった。

  お前が勝手に勘違いしてるだけだ。
  そんなのお前の自己責任だろw
  俺の所為にされても困るwww


沈黙してしまったわたしに、Sは更に言う。

  ま、お前なんか最近ちょっとおかしいぜ。
  昔のしのぶに戻るまで、
  話すのはやめとこ。
  んじゃな。


Sは、わたしとの会話ウインドウを、閉じてしまった。

わたしは、PC前で硬直したまま、今Sに言われた言葉を反芻し、どう消化するべきか、必死で思案していた。






彷徨う

2009/12/29(火) 04:28:04
Sの豹変に打ちのめされて以降、わたしは、自分が自分で無い様な、足が地面に接地していないかの様な、不思議な感覚の中で、生きていた。

唯一の理解者が現れたと思ったのに、それはわたしの勘違いで。

わたしの嗜好を満たしてくれると思ったのに、それは単なるエロトークで。

わたしって一体、何なの?

あんな恥を晒しておいて、何をのうのうと生きているの?


それでも死ぬ訳にはいかない…という事だけを、ひたすら自分に言い聞かせ続けていた。

妹の事を、考えよう。
あの子の笑顔を、思い出そう…。

その一方で…。
自殺してしまった、あの子…。
あの子ももしかして、土壇場でこんな風に放り出されたんじゃないだろうか…。
そんな気が、してくる。
だから、発作的にお酒で薬を山ほど飲んだんじゃないだろうか…。

けれどもしもそうなら、あの子の死は、わたしにも責任があるかも知れない。
Sに、格好の逃げる材料を、提供してしまったから。
ただの構ってちゃんなら放っとけば?と、言ってしまったから…。

職場では、何事も無かった様に振る舞い、冗談を言われればケラケラと笑い、仕事を捌いていく。
それでも、事務所に一人きりになり、喫煙所でぼんやり煙草を吸っている時などに、涙が止まらなくなって、慌てたりする。

夜を、どう消費するのかが、問題だ。
最早、PCの前で過ごす事は、出来そうにも無い。
メッセンジャーを見ると、心臓が苦しくなる。
だから、車に乗って、フラフラとその辺を彷徨う。

スピードを上げる。
凍結した路面にタイヤが滑り、一瞬ヒヤリとする。
事故死したらどうしよう。
遺体確認は、Sにして貰おうか。
どんな顔をするかな。
想像して、大笑いしてみたり、その直後に泣き出したりしながら、冬の田舎道を走り回る…。


そんなある夜の事、いつもの様に、車でフラフラと無目的にドライブしていたら、対向車線の路上に何かが横たわっているのを見つけた。
スピードを緩めながら目をやる。
狐だった。
撥ねられてしまったのだろう。
狐は、車を避けるのが上手い。
それを撥ねるとは、加害者は余程スピードを出していたに違いない。

通り過ぎた後、何気なくUターンして、元来た道を走る。
死体を避けながら見ると、さっき見た時と比べて、狐は少し潰れていた。
避け切れなかった車に、踏まれたのだろう。

暫く走って、再びUターンし、狐のところに戻る。
今度は、狐の頭が破裂して原型を失い、路上は紅い花が咲いた様になっていた。

ふとバックミラーを見ると、はるか後方を大型トラックが走っているのが見えた。
適当な場所で、Uターンする。
案の定、狐は、更に形を変えていた。

対向車とすれ違ったら、Uターンして、狐を見に行く。

Uターン。
Uターン。
Uターン…。

結局この夜わたしは、わたし以外の車によって、狐が完全な肉片となってしまうまで、もとが何の動物だったか判別出来なくなってしまうまで、何度も何度もUターンしては、狐の死体を見に行っていた。


そして、この夜以降、目的地の無いドライブにはあまり出掛けなくなった。
その代わり、所謂グロ画像やグロ動画を求めて、ネットの中を彷徨う様になった。






見付ける

2009/12/29(火) 05:49:49
どういう心理状態の為せる技なのか、それは解らない。
けれども何故か、人の無残な死に様を見ると、わたしの心は落ち着き、安らぎの様な感情を覚える様になっていった。

もともと、グロテスクなものに対する親和性は、高かったと思う。
ホラー映画やホラー小説は、大好きだった。
実際の人間の死を、動画などで見る趣味は無かったのだが、皮肉な事に、その機会をわたしに提供したのは、Sだった。
Sは、会話の合い間に、グロ動画やエロ画像を突然見せて、わたしの反応を楽しむ…という様な事をよくやっていた。


交通事故の話をしていた時だっただろうか。
Sが、とある動画のURLを送ってきた。

  ちーとキツいけど、見られるなら見てみ。

動画は、美しい少女のポートレート写真から始まる。
英語で、「私は○○。とても幸せだった」という様なテロップが流れる。
「ある日、ドライブしていたら…」と、無残にクラッシュした車の画像が流れ、その後に、先の写真と同一人物とは思えぬ程に損傷した遺体の顔が映る。
「私、死んじゃった…」というテロップ。
その後はおそらく、死体置き場で解剖でもされたのだろう。
ハードロックのBGMに乗って、そこの職員と思しき連中に、遺体が蹂躙される様子が映される。
「いや、やめて…!」「ああ、彼の指が…!」というテロップと共に、少女のヴァギナに職員の中指が挿入されている。
そうかと思えば、眼球を摘出し、口に咥えさせたり、クリトリスの上に置いたりしており、この職員たちの正気が疑われるばかりの状態となっていた。

  うひゃあ…

と思わず入力すると、Sからすかさず返答があった。

  な、ひどいだろう?

  うん、ひどいね…。

  こんなに綺麗だった子が、
  死んだらこんなになっちまうんだぜ。
  むごいよなぁ…。
  お前も、気を付けて運転しろよな。
  こんなになりたくないだろう?


わたしは、驚いた。

  え、そこ?そこなの?

  え、何が?

  これ…遺族に見せたら、憤死ものだよ。
  わたしがひどいなって言ったのは、そこ。


  あー…そうなんかwww
  言われてみれば確かにwww


  はあ?
  今までそこは、何とも思ってなかったの!?
  …ま…ひどいなーって言いながら観る
  わたしらの様な不謹慎な人間がいるから、
  こういう画像をわざわざ撮るんでしょうけどね。


  まーなwww

この一件は、わたしとSの感性が、余りにも違う事に驚いた出来事として、忘れる事が出来ない。


Sは、人が殺される動画をわたしに見せては、しきりに「可哀想になぁ」を連発していた。
そして、特に感情を動かされた様子を見せないわたしの事を、「お前、変だわwww」と笑っていた。

確かに、可哀想…とか、怖い…とかいう感想を持てないわたしは、常軌を逸しているのだろう。
けれども、突然わたしにエグい動画や画像を見せて、「これ、可哀想だろう?」と聞いてくるSも、わたしからすれば充分に不気味だった。
可哀想、と感じる為に、敢えてそういうものを好んで見ている様な印象を、受けていたからだと思う。



可哀想…どころか、安らぎまで感じてしまうわたしは、一体どうなってしまったのだろう…?
そう思いながらも、グロサイト巡りをやめられない日々が、続く。

グロサイトは、やはり海外サイトばかりである。
そして、グロサイトに必ず見られるのが、エロサイトへのリンクである。
サイト巡りをしている内に、エロサイトのリンクを踏んでしまい、舌打ちをしながら元のサイトに戻る…と言う事を繰り返していたわたしだったが、ある日気紛れに、飛ばされた先のエロ動画が無料配信なのをいい事に、そのままあれこれと観覧していた。
眺めている内に、Sの言葉で霧散していた性欲が、復活する兆しを感じていた。
そこでも、何度も踏んでしまうURLがあった。
出会い系サイトの様だった。
すぐにブラウザを閉じて無視していたわたしだったが、何度目かの時に、またこのサイトかよ…と、これも気紛れに、内容に目を通してみた。
運営者は海外の様だったが、メンバーには日本人も居る様だった。
こんな出会い系に登録している人って、どんな人なんだろう…という興味を覚え、自分もメンバーになってみた。

そこで見付けたのが、Tさん…現在の、彼だった。






そして、今

2009/12/29(火) 07:34:47
こうして、一連の流れは、このブログの一番最初の記事へと、結びついてゆく。
最初の方の記事を自分で読み返してみると、わたしはまだまだ、Sに気持ちが残っている様子だ。
けれどもそれも、今にして思えば、Sを憎みたくない…という一心で、己に一生懸命、言い聞かせていたのもあるだろうと思う。


そして、現在。
彼との付き合いは、もうすぐ2年になろうとしている。
わたしは、自分の住む場所がどうなるか判らず、仕事も辞めて、失業者として暮らしている。
けれども何故か、心の中には、光が満ち溢れている。
自分が、どういう風に生きていきたいか、それを見付ける事が出来たからだと思う。


職を失って暫くしてから、彼が、わたしに訊ねた。
わたしの家で、対戦ゲームをして遊んでいる最中だった。

  お前、今でも死にたい、とか
  考える事あるのか?


  ん…?
  そう言えば、最近はあんまりないかな…。
  たまーに、ふと考える事もあるけどね。


  そうか。
  もしもお前、自殺するなら、
  今から言う事は、必ず守って貰う。


  …なに?

  まず、携帯からもPCからも、
  俺に関するデータを完全に消去する事。
  俺んとこに警察が来たりとか、
  そういうのは迷惑だ。


  …ん、わかった。

  それから、これが一番大事なんだが。

  うん。

  PS3を、俺んとこに持って来ておく事!

わたしは、一瞬絶句した後、爆笑した。
少し離れた場所で寝ていた犬が飛び起き、尻尾をブンブンと振りまくりながら、彼とわたしの間にドカンと割り込んで来た。
こいつは、わたしたちが笑っていると、自分もとても楽しい気分になる様で、こうして無理やり参加しようとするのだ。
お陰で、並んで床に座っていたわたしたちは、軽く吹っ飛ばされて転がる。

  だって死ぬんならもうゲーム要らねえだろうが!
  俺が、お前の分も、たっぷりと
  楽しんでやるからよ!


彼が、体勢を立て直しながら、言う。
わたしは、犬に顔面をベロベロ舐められながら、笑い続ける。
そして、答えた。

  うん、わかった。
  ソフトも忘れずに、一緒に持って行くね!








失望する

2009/12/30(水) 04:25:55
  あの時のお前のメールからは、
  もの凄い「ヤリたい!」って思いが
  ビンビン伝わって来た。
  凄い女が引っ掛かったな、と思ったぞ。


出逢い、抱かれ、一緒に食事をする様になった頃、Tさんからそう聞かされた。

実際、彼とメールをやり取りする度に、わたしの中の肉欲は次々に燃料を投下され、燃え盛り、わたしはすっかり盛りのついた牝猫の様な状態に陥っていた。
それがメールの文面に滲み出したのは、当然の結果だろう。


人は、生命の危機に曝されると、突然の様に性欲が昂じるそうである。

今にして思えばあの状態は、死ばかりを取り憑かれた様に見据え続けていたわたしの中で、生存本能が、必死で最後の抵抗をしていたと解釈出来るのかも知れない、と、思う。


彼と逢った事で、急速に落ち着きを取り戻し、淡々とした日常を送れる様になった頃、Sとの会話が復活した。

その頃のわたしは、まだSに対して抱いていた不快感を、はっきりと自覚出来る状態では無かった。

Sさんのお陰で、わたしは外に出られた。
仕事にだって、ありつけた。
この人は、恩人なのだ。

会話の最中、わたしの心の底で、何かが首をもたげそうになる度に、すかさず己にそう言い聞かせて、その首根っこを踏みにじる。


  なあ、俺さ、落ち込んでいる時に、
  お前にひどい事言った様な気がするんだが。
  あの時は、ホント申し訳なかった。


ある日、Sが突然、そう言い出した事があった。
一瞬怯むが、何でもない事の様に、返答する。

  ああ…
  気にしないで。


  いや、気にするさ。
  あの時、お前の事助けてやれなかったじゃん。


  んー…

わたしは、思案する。

  あの状態は、ね…。
  わたしは、自力で脱出しなくちゃ
  いけなかったんだと思う。


  そなの?

  うん…上手く言えないけど…
  そして、自力で立ち直れたからこそ、
  今、安定しているんだと思う。


嘘だった。
本当は、自力で立ち直ってなどいなかった。
わたしは、Tさんという人をもう見付けていたのだから。

  そっか…
  そんじゃ、あの時の俺は、
  間違ってなかった?


  …うん。

  俺は、逃げたんじゃない?

おや…逃げを打ったという自覚はあるらしい…と、苦笑する。

  うん、違うよ。

この会話の流れで、「逃げたんだよw」とは言えない。

  そっか。
  んーまあなー、俺もちょっと、お前に対して、
  おふざけが過ぎたかなーなんて反省も、したんだぜw


  ああ…あれは、ね。
  Sさんの冗談を真に受けたわたしが悪いんだよ。
  それでわたしがぐちゃぐちゃになったのは、
  わたしの自己責任だから、気にしないで。


  そか、自己責任か。
  自己責任。
  自己責任、いい言葉だなw
  ま、俺も殆ど復活したし、
  今後ともよろしくなwww



「自己責任」の連呼が、わたしの神経を逆撫でする。
逃げたという自覚があるのなら…せめて「あの時は、逃げてごめん」と、ストレートに言ってくれれば良いのに…。
それを、こんな問答で、自分の言動を正当化までしてしまうなんて…。
ざわざわと蠢く感情を、それ以上増幅させぬ様に踏みつけながらも、わたしは、Sに対して失望した事だけは、はっきりと自覚していた。




得る

2009/12/31(木) 05:21:28
この時以降、Sとの会話の回数は、目に見えて減っていった。
ただ単に、社会人らしく規則正しく生活しようとしたら、そうそう頻繁にメッセンジャーで話し込む訳にはいかなくなった…というのが一番の理由ではあったが、これ以上Sに失望する機会を作ってしまいたくない、という意識があった事も、否定できない様な気がする。

それでも尚且つ、心はSに支配されている…と思い込んでいたのは、おそらく、彼、Tさんに、全身全霊で縋り付いて良いものかどうか、まだ判断出来ていなかったからに過ぎなかったのだろう。



しかし、ここで事態は急変した。
彼にこのブログを読まれ、その結果、初めてお仕置きを受けた事である。

そしてこの時に、彼に依存してしまいたい…というわたしの本心は、彼に見透かされ、その上綺麗に拒否された。

彼が否定したのは、わたしの、ものの考え方だった。
そういう考え方をするわたし自身を、否定したのでは、なかった。

この瞬間から、わたしの中に、今までわたしが感じた事のないものが芽吹き、その後の彼との付き合いの中ですくすくと成長し、そして今現在のわたしを構成する重要な要素となった。



彼は、言った。
俺は、お前自身を写す鏡だと。
彼のみならず、周囲の人間も、そうなのだと。

今、こうしてSとの間であった事を書き綴ってきて、わたしは、あの言葉の意味を、骨身に沁みて実感した。

Sは、他人の相談に乗ったり、他人の揉め事に介入して活躍したりする事で、自分自身を確認していたのだと思う。
そして、女の相談は共感を求めているだけという一般論に従い、わたしの話には相槌と慰めだけで応じた結果、半ば聞き流しているに近い状態になっていたのだろう。
そんな相手がわたし以外にも沢山居た訳だから、わたしの状況など一々覚えている筈も無い。
誰かの相談に乗る自分。
悲惨な動画に心を痛める自分。
そういう自分を確認し、愛そうとしていたのだと思う。

そんなSに縋り付いていたわたし自身は、どうだっただろう?
自分自身を、殺してしまいたい程に嫌悪していて、他者に依存し他者に必要とされる事で、自分の存在を許容したいと考えている、自己中心的で、愚かで、醜い女。
それが、あの頃の、わたしだ。

書けば書くほど、己の醜さが浮き彫りとなってきて、あまりの恥ずかしさ情けなさに、記事を全て削除してしまおうかと考えもした。

けれども、この醜さを、わたしはきちんと直視しなければならない。
二度と同じ轍を踏まぬ様、書き残す事で自身の中に刻み付けなければならない。
記事を削除して無かった事にしてしまったら、今手中にしているものの事も、いつか見失ってしまうだろう。
この一連の出来事で、わたしは、わたしの核とすべきものを得たのだ。
これを手放す訳には、いかない。
絶対に。


自信。


これが、わたしが手に入れたものである。