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蓮華草

2008/03/16(日) 03:14:21
春が来る。
日に日に温度が上がり、雲雀が長閑な歌声を響かせている。
鶯もやって来た。
下手糞な囀りで、春を謳歌している。
これからどんどん、上手に鳴ける様になるのだろう。

もうすぐ、付近の田圃は蓮華草で埋め尽くされる。
蓮華草を見ると、わたしの心の奥底に封印された出来事が、息を吹き返す。
わたしが、自分が女であることを忌まわしく思う様になった、原初の出来事…。



幼い頃わたしは、西日本の田舎町に住んでいた。
両親と、妹たち。
その隣家に、父方の祖母。
妹たちとは歳が離れていた為、わたしはよく、近所の同じ年頃の男の子たちと野山を駆け巡って遊んでいた。
1人で遊ぶ事も、苦痛ではなかった。

その日わたしは1人で、いつもは行かない蓮華畑で蓮華摘みをしていた。
そこに、会った事のない男の子が現れ、一緒に遊んだ。
おそらく、中学生くらいだったと思う。
どういう会話を交わして、そんな事態になったのか…記憶がない。
わたしは蓮華畑に横たえられ、下半身をむき出しにされていた。
『お医者さんごっこだよ』
手垢に塗れたあまりにも陳腐な理由付けで、わたしはそんな状態にされ、未発達な女陰に蓮華草を飾られていた。
わたしを見下ろす少年の、顔も、表情も、全く憶えていない。
ただ、自分の周囲を埋め尽くす蓮華草を、いつもとは違う角度から見つめていたその情景だけが、わたしの記憶に映像を結ぶ。

その出来事が、何故、大人たちの知るところになったのか。
それも記憶にない。
ただ、わたしの家にたくさんの大人がやって来て大騒ぎになり、母が泣き叫び、祖母と父が怒号を上げていた。
訪ねてきた大人たちの内数人が、玄関先で土下座していた。
一緒に遊んでくれた少年の姿は、なかった。

やがてわたしは、祖母の傍らに呼ばれた。
そしていきなり祖母にパンツを脱がされ、スカートをたくし上げる様に言われた。
大人の女の悲鳴が、響き渡った。
母と、土下座していた女の人だった。
その声でわたしは、下着を脱がされるという事が、とても異常で酷い事なのを悟った。
『しのぶちゃん、言いなさい。
 あんたをこうしたのは誰?
 ここに居る?
 ここをどうされたの?
 言いなさい!』
祖母が言う。
『やめて下さい!
 お願い、もうそんな事、しないで上げて…!』
土下座した女の人が、号泣していた。
わたしも泣いていたと思うが、憶えていない。
『(母の名)さんの娘は怖いねえ。
 こんな子どものうちから、こんな事されて悦んでるなんて。』
『違います!
 こんな子に育てた覚えはありませんっ!
 私のせいじゃありませんっ!』
祖母の、底意地の悪い声と、母の悲鳴。
そんな中、土下座していた女の人が、泣きながらわたしに言った。
『ごめんね。
 しのぶちゃんは、何にも悪くないんだからね。
 うちの子が悪いんだからね。
 気にしちゃ、だめだからね。』
この夜の事態が、どう終わりを告げたのか、それも記憶にない。

それから暫くの間、わたしは少年と会った蓮華畑にこっそり出掛けていた。
少年ではなく、少年の母親に会いたかった。
どうしてわたしは悪くないのか、その理由を教えて欲しかったのだと思う。
勿論、再会などできる筈もなかった。
その出来事から程なくして、一家は引っ越してしまっていたからだ。
それをわたしが知ったのは随分後だったが、わたしが残念そうな顔をしたのだろう、母が憎々しげに言った。
『なに、あんた会いたかったわけ?
 つくづく厭らしい子だねぇ。』



今でも、蓮華草を見ると、思い出す。

あの時の少年は、どんな大人に育ったのだろうか。
それを知りたいと、わたしは今でも思っている。



変質者

2008/03/18(火) 00:15:42
小学校低学年の時だった。
わたしは、家の近所の道路で、同年代の少年たちと遊んでいた。
そこに通り掛かった労務者風の男。
異様な熱を持った視線を感じ、わたしはその男を見た。
男は、急に進路を変えると、わたしに真っ直ぐ近寄ってきた。
この人何か変…と身構えた時には、もう男は眼前に迫り、手を伸ばしてわたしの胸をべろりと撫でていた。
悲鳴を上げたわたしと、わたしに駆け寄る友人たち。
男は、歩調を変えずに立ち去りながら、首を捻じ曲げてわたしを見つめている。
わたしは、憎悪を込めて男を睨んだ。
男は、舌なめずりをして見せた。

一緒に遊んでいた少年たちの口から、その出来事が大人の知るところとなった。
母親は、ため息をついて言った。
『またなの?
 なんであんたばっかり
 こんな目に遭うんだろうねぇ…。』
その少し前にも、わたしは、性器を露出して見せる男に、付け回されたばかりだったのだ。
答えは簡単だ。
その地域には、わたしと同年代の少女が居なかった。
わたしの他は少年ばかりだったのだから、わたしの様な年齢層を狙う変質者が相手なら、自然わたしだけが標的になるのだ。

それから数日後。
やはり近所の少年たちと遊んでいたわたしは、その男が歩いてくるのを見つけた。
『あいつだ!』
わたしたちは、隠れた。
男が立ち去った後、少年たちが後を付けようと言い出した。
当時、わたしたちの一番お気に入りの遊びが、少年探偵団ごっこだった。
わたしたちは、物陰に隠れながら、男を尾行した。
男の家は、わたしの家からそう離れてはいなかった。
表札も出ていたが、習っていない字で読めなかったので、わたしはその文字を図形として脳裏に焼き付けた。
その日の出来事は、誰にも話さなかった。
ただ、憶えた字を何と読むのか、父親に訊いたのみだった。

それから暫くして、うちに警察官がやって来た。
わたしの胸を触った男について、詳しく訊きたいという事だった。
どうやら他所でも同じ様なことを繰り返している、常習者であったらしい。
『その人なら、何処に住んでいるか知ってます。』
得意になって、そう言った。
『へえ、そうなの? どうして?』
『尾行したんです。名前も判っています。』
『そうか…連れてってくれるかな?』
わたしは、警察官を見て興奮し、集まってきていた遊び仲間たちと共に、彼を案内した。
案内し終わった後、警察官は言った。
『どうもありがとう。助かったよ。
 でも、危ないから、もう二度と
 尾行なんかしちゃいけないよ。
 皆もだよ。』
わたしたち少年探偵団は、誇らしい気持ちと残念な気持ちを、同時に味わったのだった。

家に戻ると、母親が言った。
『普通、怖い目に遭わされた相手を尾行なんてするかねぇ。
 あんたがこんな目にばかり遭ってるのは、
 やっぱりあんたが色目を使ってるからなんだよ。』
『色目ってなに?』
『あんたがそういう事をされて、嬉しがってるって意味。』
母親は、汚いモノを見る様な目つきをして言い捨てた。
『嬉しくなんかないよ…。
 わたししか女の子がいないからだよきっと…』
『それにしたって、あんたそういう目に遭い過ぎる。
 要するにこれは、あんたに隙があるって事なの。』
『隙ってなに?』
『男を誘ってるっていう意味。』
わたしには、理解できない事ばかりを言われた。
ひとつだけ理解できたのは、変質者に遭ってしまうのは、どうやらわたしに非があるかららしい、という事だけだった。

その男の姿は、それ以降、見かけなくなった。



初潮の夜

2008/03/21(金) 18:23:00
小学校高学年になった時。

女子だけ集められて受ける、特別授業があった。
そう、生理に関する説明会だ。

その時の衝撃は、忘れられない。


わたしは、生理に関して何の予備知識もなかった。
男女の性差は、おちんちんやおっぱいの有無程度に捉えていて、内臓の構造まで違うなどとは考えた事もなかったのだ。
突然インプットされた、自分の身体に関する重要かつ膨大な情報…。
それを全く知らずにいた事に、まずは激しい衝撃を受けた。

さらにショックだったのは、クラスの女子の殆どは、母親から教えられて、既に知っていたという事実だった。

家に帰り、わたしは母親に、生理について習った事を報告した。
そして、他の女子の事も話し、『どうしてわたしには教えてくれなかったの?』と尋ねた。
『あんたにはまだ早いから。』
母親の返事は、それだけだった。


わたしは、読む本、聴く音楽、観るテレビ番組に至るまで、母親の許可を取らねば見聞きする事を許されない生活を送っていた。
わたしの希望を聞いた母親が、まずは内容をチェックし、不適切と判断されれば、それに触れる機会は失われていた。
そんな状態に、不満がなかった訳ではない。
けれどもその頃わたしは、学校の図書館で小説を読む楽しさに目覚めており、母親も、学校が置いているものなら安心とばかりに、どんなものを読んでいるかまではチェックを入れて来なかった。
わたしはそこで、ホラー小説や推理小説、SF小説に触れ、何とか自分の好奇心を満足させていた。
母親がそういう手段を取っていた理由は、彼女によれば『教育的なものでないなら、知る必要はない』から。
それなのに彼女は、学校の授業で扱われる様な、充分に教育的と思われる…しかも、わたし自身の身体に関する…そんな情報まで、独断で遮断していたのだ…。
そういう風に考えた時に、母親の与えるもののみ甘受するだけの当時の現状には、改めて強い反発と不信感を覚えたものだ。

生理について、尚も詳しく情報を得ようと質問を繰り返すわたしを、彼女は、優しくて物分かりの良い母親を演じる時の、独特のアルカイック・スマイルで見つめていた。

『そんなに興味があるの?
 ませてるのねぇ。』

その目の色を見てわたしは、こういう話をこの人にはあまりするべきではないのだ、と、感じた。




やがてわたしは、中学2年生になった。

その頃には、クラスの女子の殆どに生理があり、わたしは不安な気持ちになっていた。
何故、自分には、女性としての成長の証が訪れないのだろう。
なにかおかしな病気に、冒されているのではないだろうか、と…。

けれども、その日はやって来た。

今まで経験した事のない不快な腹痛に、昼過ぎから悩まされていたわたしは、部活を休んで早めに家に帰り、部屋に寝転がって、読書をしていた。
本に夢中になっている間は、痛みを忘れる事が出来た。
しかし読み終わってしまうと、次第に痛みを増していく、この不思議な腹痛は何だろう、と気になってきた。
トイレに入って下着を下ろし、絶句した。
そこは、赤黒いもので、ぐっしょりと濡れていた。

どのくらい、そのままの姿勢で硬直していただろう。
ようやく、初潮が訪れたことに思い至ったわたしは、とにかくどうすればよいか判らなかったので、母親のもとに飛んで行った。
わたしの報告を聞いた母親は、驚いた顔をした後、言った。

『そう…とうとう来たのね…。』

この時わたしは、自分だけが普通ではない様な心境から解放され、『やっと来た』という安堵感で一杯だった為、彼女の『とうとう』という言い方には、引っ掛かりを感じた。


その夜は、父親が早く帰宅した。
母親から連絡があったのだろう、彼は、チェリータルトのホールケーキを買って帰って来た。
何のお祝いかと無邪気にはしゃぐ妹たち。
『お赤飯は間に合わなかったから、代わりにね。』と、笑顔の母親。

しかしその笑顔を向けられる度に、わたしはひどく落ち着かない気持ちになった。
口元だけは、慈しみ深く見えそうな笑みを浮かべているが、目元は、彼女が表面とは全く違う感情を内包している事を、如実に物語っていた。
父親に、女性独特の身体の変化を知られた、という羞恥心よりも、その笑顔を母親に向けられる事の方が、何故か不快だった。

食事の後片付けをする母親を手伝っていた時、彼女が言った。
『それにしても、お母さんが初めての時は、
 恥ずかしくて恥ずかしくて、
 暫くの間は誰にも言えなかったのに、
 あんたは大喜びですっ飛んできたねぇ。』
『そりゃクラスで一番わたしが遅かったんだもん、』
どこか変なんじゃないかと心配だった…と続けようとしたわたしを、母親が遮った。

『女になったのが、そんなに嬉しいんだね。』

彼女は、わたしの方を向いていなかった。
洗い物をする自分の手元を見ていた。
まるで、犬の汚物を踏んづけたような表情をしていた。

この人は、わたしが女性として成長した事を祝福していない。
それどころか、嫌悪してさえいる…。

その夜わたしは、それを胸に、焼き付けた。



レッテル

2008/03/29(土) 14:58:03
母親は常々、わたしに『女の子らしくしなさい』と言っていた。
近所の少年たちと、野山を駆け巡る山猿の様なわたしを嘆き、野球や空手を習いたがるわたしを嘆き、女の子らしい習い事をさせようと、躍起になっていた。

それが、初潮を迎えて以降、変化した。

わたしは、髪の毛に癖がある。
長さによっては、寝癖にしか見えないはね方をする為、朝、鏡の前で母親のドライヤーを拝借して苦心していると、飛んで来て叱責される。
『たかが学校に行くのに、何をめかしこんでるの!
 そんなに男の目が気になる訳?』
わたしが鏡の前に立つ事を、母親は、極端に嫌がった。

そのくせ、『女の子なんだから』という理由で、家事を手伝わせる。
母親は、完璧主義者でもあった。
食器洗いや部屋の掃除を言いつけられ、それを遂行しても、どこか一箇所でも完璧に出来ていなかったら、何度でもやり直しをさせられた。

そのやり方は、狂的だった。
夕食後の食器洗いを言い付けられる。
洗っただけだと、不合格だ。
きちんと拭いて、食器を片付けていなければならない。
今度は、食器を拭いて片付ける。
それでも不合格だ。
ガスコンロに残った鍋を洗っていないからだ。
次は、鍋も洗って片付ける。
また不合格。
ガスコンロを磨いていないからだ。
その次は、流し台に飛んだ水滴を拭いていないから不合格。
その次は、中身の残った鍋を放置していたから不合格。
永遠に合格点は、出ないのだ。
しかも、この手順を前もって教えられている訳ではない。
母親がやっている事を見ていれば、きちんと出来て当然なのに、それが出来ないからと言って叱責される。
洗い方が悪くて、汚れの残った食器など見つかろうものなら、とんでもない事になった。
食器棚の中の全ての食器を出して、綺麗に洗い直しをさせられていた。

『完璧でないのは、何もしていないのと同じ。』

それが母親の言い分で、何度やらせても完璧に出来ていないという理由で、わたしは『何をやらせても出来ない駄目な子』と言われ続けた。

ここに更に、わたしの先天的な障害が絡んでくる。
わたしの障害は、興味の持てない事はとことん出来ない、というものだ。
手順を覚えることすら出来ない。
その代わり、興味のある事ならば、1回見ただけで手順などを全て記憶する事が出来る。
凄まじい集中力を見せて、何時間でも没頭していられる。
その能力差はあまりにも極端で、周囲には、故意にやっているとしか思われないのだ。
わたしの場合、家事に対して興味を持てない事は、非常に不運だったとしか言いようが無い。

女らしく家事を完璧にこなすことは出来ないくせに、見た目ばかりは一人前に気にする、男好き…。

それが、中学・高校時代のわたしに母親が貼った、わたしのレッテルだった。



蹂躙されて

2008/03/29(土) 15:55:40
彼は、わたしを完全にモノ扱いしている。
わたしには、それが心地いい。
けれどSさんには、わたしが尊厳を踏み躙られて平然としている様に見え、歯痒いのだろう。

  お前、どうしたんだ?
  自尊心はどこに行ったんだ?


Sさんは、そう言って苛立つ。
けれどもわたしには、そもそも自尊心というものが、もとから無いのだ。



高校時代、将来の進路を決める時期に入った。

わたしは、絵を描く事が好きだった。
漠然と、そういう方面での進路を希望していた。

当然、母親は反対する。
その進路を諦めさせる為に、母親のとった手段は、非道いものだった。

彼女は、わたしの絵を批評し、徹底的に貶めたのだ。

『ここがこういう風なのは、才能が無い証拠。』
『ここに、あんたの性格の悪さが滲み出ている。
 こんな絵、誰も見たがらないよ。』
『あ、これ、生きてる人間?
 死体かと思った。表現力ないねえ。』

わたしにとって絵とは、自分の精神世界を、何とか形あるものに表現しようとするものだった。
それを貶められることは、わたし自身を貶められる事と等しく、わたしの精神性を徹底的に否定されるのと等しく、自尊心などズタズタになった。

子どもの頃から絵は描いていたから、それまでにも母親の批評を受けてはいた。
『変な絵。』
程度の事は、言われていた。
けれども、わたしを撃沈させるという目的の為に下される批評は、それまでとは比較にならぬ凄まじい悪意を含んでいた。

最終的に、わたしは芸術方面の進路を諦めた。
そして、県外への進学を強く希望する様になった。
このまま母親と一緒に暮らしていたら、わたしはいつか、この女を殺してしまう。
そう思ったからだった。



この時期以降、わたしは、絵を全く描けなくなった。


とある離婚

2008/06/20(金) 00:21:39
両親が離婚したのは、わたしが結婚した後のことだった。


父親に女がいる事には、わたしも高校時代から気付いていた。

『どんなに酷い父親でも、
 あなたたちの結婚に影響する。
 だからお母さん我慢するね。』

母親の口癖だった。
それが、未婚の妹たちを残したまま、突然離婚したいと言い出した。
母親の相談を電話で受けた時、彼女の話題によく登場する様になっていた男の存在が、無視出来ないと感じた。

離婚そのものには反対しない。
けれども、その男との再婚を考えて離婚したいと言っているなら、賛成出来ないと言った。
堅気の男ではなかった。
ヤクザ崩れの上、不安定な職に就いていた。

母親は、その男とはそんな関係ではない、と言い張った。
そして今まで父親に受けた仕打ちの数々を論った。

『離婚出来ないなら、死にたい』

そう言って泣き喚く母親に閉口し、『好きにしろ』と突き放した。

両親は、離婚した。
父親は家を出て行き、わたしと殆ど歳が違わぬ女と、すぐに再婚した。
母親の男も、程なくわたしの実家に転がり込んで、母親と暮らし始めた。


離婚からきっかり半年後。
案の定、母親が再婚すると言い出した。
わたしは強く反対した。
男の目当ては、母親が住んでいる住居。
そう確信していた。

『あんたって子は、母親が幸せになろうと
 しているのを、邪魔するの』

電話口で母親は、赤ん坊の様に号泣した。

その男は、今に仕事に行かなくなる。
目当ては、住居だ。
そうはっきり言った。

『彼の事まで愚弄するの』
『私に不幸になれと言うのね』
『昔からあんたはそうだった。
 私の幸せは、全部あんたが潰してきた』
『はっきり死ねと言いなさい。
 死んで欲しいんでしょ?』

連日、深夜に電話をかけてきては泣き叫ぶ。
何を言っても、無駄だった。
疲れ果てて、『好きにすればいい』と言った。
母親は、再婚した。


やがて母親は、住居の名義を男に変えると言い出した。
今度こそわたしは、必死で反対した。

『また私の幸せの邪魔をするんだ』

母親が泣き喚く。
最早この人とは、意思の疎通が出来ないと諦めた。
当然、母親を説得する事は出来なかった。

わたしの実家は、まだ住宅ローンを払っている状態だった。
慰謝料の一部として、住宅ローンはそのまま父親が払い続ける事になっていたが、これには『母親が再婚しないなら』という条件が、ついていた。
名義を男にした上でローンだけを父親に払わせようと画策したが、当然父親は支払いを打ち切り、母親はその行動を不服として調停に持ち込み、惨敗した。
住居のローンは、母親が支払う事となった。

調停終了からいくらもしないうち、男が出て行き、母親は再び離婚した。
案の定、仕事に行かなくなり、そればかりか暴力まで振るう様になったそうである。
住居を手に入れられぬどころか借金まで背負った母親には、用が無くなったのだろう。


調停の結果をわたしに連絡してきた父親は、電話口で快哉を叫んだ。

『どこまでも馬鹿な女だ。
 お陰でこれ以上金を使わずに済んだ。
 礼を言いたいくらいだよ』

『良かったね』と応じた。
確かに、とことん馬鹿な女だ。
言動も常軌を逸している。
でもそれが、わたしの母親だ。
そして、母親の境遇を嘲笑しているこの男が、わたしの父親なのだった。




記憶と事実

2008/06/20(金) 12:13:51
わたしに相談した処で、結局反対される事になる。
それなのに何故、母親は都度わたしに相談していたのか。

ここに、わたしがわたし自身をどうしても信じることが出来ない、大きな理由がある。


母親は、記憶を、自分の都合の良い様に改竄する癖があるのだ。

人間誰しも、強烈な印象を受けたことだけを鮮明に記憶していたり、ちょっとした記憶違いをしたりということは、あると思う。
だが、母親のそれは、尋常ではない。

父親との離婚について、わたしはあまり積極的に賛成はしなかった。
自分にも男が出来た途端にそれかよ…という気持ちもあったし、離婚した後、どうやって生活していく気だ…という心配もあったからだ。
けれども、思い通りに父親との離婚を果たした後、母親の中では、

『しのぶも大賛成してくれた』

という風に、記憶が改竄されていた。
ここまでなら、『好きにしろ』が『大賛成』に変換されているのか…という程度だった。

けれども、再婚についての記憶改竄は、凄まじかった。
どれだけ電話で言い争いをしたことだろう。
その男の何処が信用できないか、どれだけ説明したことだろう。
母親の中では、それらが全て、無かった事になっていた。

『しのぶも、いい人にめぐり合えて
 良かったねって祝福してくれたじゃない』

この時は、言葉を失い…全身に、冷水を浴びせられた様に感じた。


父親との離婚に、大賛成してくれた。
男とのことを、祝福してくれた。
そういう風に記憶を書き換え、信じ込んでいるからこそ、毎度毎度電話口で号泣出来るのだ。

『あの時はこう言ってたのに、
 どうして急にそんな事言うの?』

という訳である。

この時に、それまで『あの時あんたはこう言った』『あの時あんたはこうしていた』と言われていた事全て…果たして真実なのだろうか…そう考えて…わたしの背後は…今まで歩んで来た道は…突然真っ暗になったのだ。


わたし自身、物覚えの良い方ではない。
人と話していて、記憶に食い違いを感じる事や、思い出せない事が、たくさんある。
その度に、わたしも、記憶を自分の都合の良い様に捻じ曲げているのではないか…そう考えてしまう様になった。
何しろこの身体には、あの女の血が色濃く流れているのだ。


誰かと…元夫と、物事の事実関係について論じる時…わたしの記憶とは違うと思っても、わたしはそれを主張出来ない。
間違っているのは、わたしである可能性が高いからだ。
時々、メモや日記に記録が残っているけれど、それを事実と考える事が、怖い。
わたしの主観でしか記録されていないからだ。
元々得意とは言えなかった人付き合いも、益々出来なくなっていった。
今、こうして会話していることを、事実の通りに記憶することが出来るだろうか…そう思うと、恐ろしくなるのだ。
都合の良い様に改竄した記憶に基づく主張を、他人に押し付けることはしたくなかったから、ごく少人数とだけお付き合いをし、記憶を基に喋らなくてはならぬ状況…所謂茶飲み話を回避する様になった。
仕事に関することだけは正確に記憶しなくてはならないから、それに集中する為だった。


こんな状態に、注意欠陥障害が加わると、どんなことになるか…。
正確な記憶を残す為、メモを取る。
が、肝心な時にそのメモがどこにあるか見つけられない。
メモを取ったことすら忘れている時もある。
首尾よくメモを見る事が出来ても、今度はそこに書かれていることが正しいのかどうか…判断は出来ない。
そのくせ、自分の興味のあることに関してだけは異様な記憶力を見せるから、周囲はわたしが記憶力に自信が無いと言っても信じてはくれない。
怠惰、いい加減、不誠実…というレッテルだけが、増えていく…。


この頃から…親元を離れたことで安定していたわたしの精神状態は、再び崩壊し始めたのだと思う。


自分自身の記憶も…経験も…何一つ信じることが出来ない。
今ここでこうして書き記している過去の出来事。
これも、実はわたしが自分の妄想の中で作り上げた記憶なのかも知れない。

けれども彼は…Tさんは、存在している。
わたしの携帯に届くメールが…着信音に、わたしだけでなく職場の人も反応することが…彼の存在を、実証していると思う。
ブログに書く内容に、彼が異を唱えない限り、彼との経験や会話は、事実なのだと思う。





憎悪...(1)

2008/06/21(土) 11:38:36
母親から、父親と離婚したいと相談を受けていた時。
わたしは、父親に対するあまりに酷い罵詈雑言に逆上し、怒鳴り散らしたことがある。

『あんな人でもわたしの父親だ。
 それをちっとは考えてモノを言えよ。
 それにあんただって、
 あーだこーだ言いながら、
 これだけガキ作って産んでるだろうが』

その途端、母親は泣き出した。

『あれはレイプだったの…』
『はあ?』
『あんたたちは、あの男にレイプされて出来たんだよ。
 私は嫌がったのに、あの男が無理やり…』

たちまち号泣し始める、わたしを産んだ女。

わたしは、絶句した。


そう言えば『レイプ&マリッジ』って映画、あったっけ。
リンダ・ハミルトンは好きだし、観ようと思ってたけど、結局観てないなぁ…。
まだレンタル出来るのかなぁ…。


わたしの脳裏を過ぎった思考。
他人事のようなこの反応は…わたしが、大きな衝撃を受けたことを意味する。

『…わたしたち全員、レイプされて出来た訳?』
『そうなのよ…酷かったのよ…』
『流産も経験してるって言ってたよね。
 それもレイプの結果ですかい?』
『そうなの…』


両親は…わたしを愛していないのではないか。
そんな想いを抱いたことは、何度もあった。
その疑問に対する回答を、やっと得られた様な気がした。

『産んでもらえた事に感謝しなさい』

幼い頃から、よく言われていた。
思春期に差し掛かった頃に言われた時は、
『勝手にヤって勝手に産んどいて、
 何抜かしてやがる』
と反発を覚えていたものだ。
あれは、そういう意味だったのかと、納得した。


五体満足に産んでもらえた。
身体だけは頑丈で、大きな病気ひとつせず育ってきた。
これだけでも、両親には感謝しなくてはならないことだ。

教育も、受けさせてもらえた。
県外の私大にまで、行かせてもらえた。
これは、大いに感謝しなくてはならないことだ。

それが、望まない妊娠だったのに産んでもらえたとなれば…どれだけ感謝しても感謝し足りない程だ。
産まれて良かったと思わねばならない。
生きてて良かったと思わねばならない。

老成したわたしが、わたし自身にそう諭している。

『こいつらぶっ殺す。
 ぶっ殺してやる』
凶暴で残虐なわたしが、血を吐きながら絶叫している。

『レイプで産まれた子どもなら
 気分次第で殴られてても
 しょうがないよね』
諦念しか持たぬわたしが、そう呟いている。

わたしは、多重人格ではない。
ほら、こうして、どんな人格がわたしの中にいるか、きちんと把握できている。
でもこれは単に、このわたしがマスター人格だからってだけだったりして。
自分が分裂してることだけ知らないマスター人格なの。
そんなケース、あるのかな。


脳の中を騒然とさせたまま、わたしは静かに、母親の吐き続ける父親への恨み言を聞いている。

『けれどこれは、決して本人にだけは
 言ってはならない言葉だった』
わたしの中で、意見が一致する。
老成したわたしですら、そう判断する。


自分の思い通りに事を成す為なら、
手段を選ばず、感情の赴くままに、
何でも言うし何でもする。

そういう人物に対して、それまでなら『もううんざり…』程度だったのが、凄まじい憎悪を感じる様になったのは、この頃からだったと思う。




憎悪...(2)

2008/06/21(土) 17:22:26
『これからは、女友達として付き合おうね』

わたしが成人した際に、母親が言った言葉だ。

わたしももう子どもではない。
幼い頃に何をされたかなんて事をいつまでも引き摺って、母親を斜め上から見下ろす様な態度は改めるべきだろう。
そう思って、了承した。

母親も、決して幸せに育ってきた訳ではない。
戦後の混乱期に父親を亡くし、威圧的かつ独善的な兄を父親代わりとして育ち、義父に性的虐待を受け、兄弟姉妹の中で一番成績が悪く、そのエキセントリックさ故に家族の中で孤立していた人だ。
そんな生い立ちを聞きながら、わたしの方もぽつぽつと、親元を離れてから経験した事を語るようになった。


わたしの結婚が決まった際の結納の席で、母親は突然言った。

『ああ良かった。
 しのぶの旦那になる人が○○(元夫の名)さんで。
 この子ったら、今までのボーイフレンドは
 どれもこれも不細工なのばっかりで、
 どんな子どもが産まれるんだろうって
 心配していたんですよ』

場が、凍り付いた。

『ちょっと…やめてよ』

小声で止めようとしたが、彼女は止まらない。

『あら、本当の事言って何が悪いの?
 ○○くんは、こーんな顔してたし、
 ○○くんはチンチクリンで、
 ○○くんなんか、なよっとしてたじゃない。
 あと、誰がいたかしら…ほら、えーとあの…』
『もうやめて』

彼女が名を出した中には、男女の付き合いだった人も居たし、単にちょっと親しい男友達程度の人も居た。

『何慌ててるの、変な子ねぇ』

静まり返った席上に、母親の楽しげな笑い声だけが響いた。
彼女に過去の交友関係を打ち明けた事を、わたしは激しく後悔した。

元夫とその両親が帰った後、わたしは母親のこの言動を非難した。

『悪気はなかったのよぉ』

コロコロと笑う母親。

『じゃあ、どんなつもりであんな話したの』
『どんなつもりって、思った通りを言っただけよ』
『言っていい事と悪い事の区別もつかないの。
 その場に相応しい話題かどうかも考えられないの』
『悪気はなかったって言ってるでしょッ!
 そんなに慌てるって事は、
 あの子たち全員とあんた寝ていたんだねッ?』

逆ギレされて、わたしは言葉を失った。


結婚式の当日。
花嫁の控え室で、母親が突然言った。

『これであんたが処女だったら、
 めでたさもひとしおだったのにねぇ…』

わたしは素早く周囲を見回し、その場に家族と式場従業員しか居ない事を確認した。

『そんな事…こんな席で言わないでよ』
『あら、本当の事を言って何が悪いの?
 あんたが結婚まできちんと
 純潔を守らなかったのが悪いのよ』

この時も、母親の身の上話に同情して、自分の異性関係まで打ち明けてしまったことを、わたしは凄まじく後悔した。


結婚後暫くしてからの事。
元夫の実家から、連絡が来た。
わたしの喫煙習慣を知った義父からの、怒りの電話だった。

わたしの母親が元夫の実家に電話をし、

『○○(夫の名)さんの子どもは
 まともに産まれないかも知れません。
 しのぶは煙草を吸いますからね。
 そんな風に育てていないのに
 ごめんなさいねぇ』

と言って来たというのだ。

その場はじきに禁煙するという事で事態を収め、わたしは母親に抗議の電話をした。
母親の返答は、予想通りだった。

『あら、本当の事を言って何が悪いの?
 あんたが煙草を吸うのが悪いんでしょ?』


母親のロジックは、明解だ。

本当の事ならば、誰に、何を言っても良い。
それによって不利益を蒙るのは、
そういう事をしている本人が悪いのであって、
自分は何も悪くない。

悪気が無いなら、何をしても良い。
それによって不利益を蒙る人物が居ても、
こちらに悪気が無かった以上、
自分は非難されるべきではない。

と、こういう事なのだ。


わたしは、母親のこれらの所業を見ながら、どう考えてもわたしの結婚を台無しにしようとしている様な気がしてならなかった。
心の奥底で…娘の結婚生活を幸せにしてなるものか…自分が得られなかったものを与えてなるものか…と考えているのではないかと思った。
それに、本当に悪気が全くないままこういう言動を繰り返すのであれば、そちらの方がよっぽどたちが悪い。
自分の言動が巻き起こす結果を想像する事なく、誰に迷惑をかけようが反省の欠片もなく、思うがままに行動し続ける上に、こちらは彼女の言動を全く予測出来ないのである。


この一件以降わたしは、誰に話されても全く問題のない様な、当たり障りのないことしか、母親には話さなくなった。
母親にとってわたしは、女友達だったかも知れないが、わたしにとって母親は、一番恐ろしい敵だった。
それが、とても哀しかった。




憎悪...(3)

2008/06/22(日) 03:03:48
母親が再婚した後の事。

電話でいきなり、男との性生活の話をされた。
わたしは、暫し絶句した後、声を絞り出した。

『そういう話は、聞きたくないんだけど』

母親は、笑った。

『いいじゃなぁい。
 こんな話出来る友達、
 あんたしか居ないんだもぉん。
 それにさ、あんたの方が経験豊富でしょ。
 色々教えてよぉ』

『ぶっ殺す…』
わたしの中で、血の臭気が立ち上る様な声がした。
わたしの無言を承諾と取ったか、母親は男とのセックスがどんなに素晴らしいか、喋り始めていた。
話す内容の時系列から、やはり離婚前から関係があった事が判る。

『これがイクって事なのかなぁって思った』
『えっ、そうなの?』

思わず反応してしまった。

『その口ぶりじゃあ、あんたとっくに
 イクって感覚、知ってたんだね。
 ねぇねぇ、誰との時にイッたのぉ?』
『…旦那だよ』

嘘だったが、ここでわたしの過去の性体験を、披露する気はなかった。

『お父さんは最悪だったよぉ。
 どこも気持ち良くならないの。
 自分だけささっと済ませて
 すぅぐ寝ちゃってたしね』
『…レイプされたんじゃなかったのかよ』
『あら、いやぁねぇ。
 そうじゃない時もあったのよぉ。』

孕んだ時だけ、たまたまレイプだったという訳か。
なるほど、なるほど。
もの凄い命中率だな。

『今思えば、お父さん下手だったんだね。
 ○○さん(父親の女)も、若いのに可哀想よねぇ。
 ところであんた、やっぱり○○さん(元夫)が
 一番上手なの?一番いい?』
『…他の奴の事なんざ、もう忘れたよ』

錆び付いた金属が軋む様な音が、頭の中に響き渡る。
これが…わたしの初潮を、忌まわしいものの様に扱った人物か。
これが、わたしが鏡を覗き込む度に吹っ飛んで来て、色気づくなと怒り狂っていた人物か。
これが…これが、わたしの母親なのか…。

『あらそうなの?
 私の場合はね、○○さんはとっても
 優しいやり方する人でね』
『え、ちょっと待て』

聞き捨てならぬ事を聞いた。

『○○さんて、あの○○さんのこと?』

それは、わたしの大学時代、母親が仕事の関係で親しくしていた人物の名だった。

『そうよ』
『…○○さんと寝てたの?あの頃に?』
『だってぇ。淋しかったんだもぉん。
 お父さんとはもうしてなかったし、
 私だって女なのよぉ?』

視界が、すうぅっと暗くなった。
怒りで目が眩むって、これかぁ、と思った。

『離婚の時…親父は散々浮気したけど、
 自分はそういう事一切してないって言ってたよね?』
『あれはまぁ、嘘も方便ってね』
『それに、さっきから聞いてりゃ○○(男)とも、
 離婚するまえからヤってるんじゃん』
『…えへへぇ、まぁね』

『ぶっ殺してやるッ』
迸りそうになる言葉を、奥歯で噛み殺す。
怒鳴りそうになるのを、必死で堪える。

『それじゃ、親父にだけ非があるっつって
 慰謝料取るの、随分と卑怯なんじゃないか?
 あんた結局、男が出来たから
 別れたくなってるんじゃん。
 離婚条件を、見直すべきだよ』

その途端、母親の声のトーンが変わった。

『親のやる事に、子どもが余計な口出しなさんな』

キレた音は、本当に『ぶちっ』と聞こえた。

『何だそれ。
 散々女友達扱いして好きな事喋っといて、
 都合が悪くなりゃ子どものくせにってか』

何か反論していたが、それはもう憶えていない。

『もうこれ以上あんたとは話したくない』

そう言って、電話を切った。

トイレに駆け込み、嘔吐する。
嘔吐の合間に、声が漏れる。
わたしは、泣いていた。


母親に、殺意に近い程の憎悪を抱いていて…もうこの感情をどうする事も出来ないと、はっきり認識したのは、この時だった。




家......(1)

2008/07/19(土) 10:05:29
  全ての穴を俺に晒したお前が、
  ここまで頑なに拒むのは、
  そこにお前の真実の姿が
  隠されているという事だ。
  ブチ込みてえ。
  暴いてやる。


彼からのメールを読んで、わたしは呆然とする。
わたしの家に行く、という彼に、断りのメールを打った返答だった。



注意欠陥障害であるわたしにとって、『掃除』は、何よりも苦手な作業だ。

それでも、夫と暮らしていた頃は、必死で体裁を整えていた。
『これでも掃除したつもりか』という夫の言葉に打ちのめされながらも、『精一杯、綺麗にしたつもり…』と卑屈な笑みを浮かべていた。

当時の仕事に忙殺される様になると、家事には完全に手が回らなくなった。
夫は、家を出て、別居を始めた。
『田舎過ぎて会社に通うのに不便だし、家も汚いから。』
そう言った。

最初の頃は、週末ごとに帰宅していた。
わたしも、週末前には徹夜で掃除をして、夫を迎えられる様に努力していた。
『相変わらず汚い家だ…』
あれだけ掃除したのに…!という言葉を飲み込み、『そ…そう?頑張ったんだけどな…』と卑屈に笑う。
『努力が足りん』
仏頂面の夫に、これ以上どう努力すればいいの!と叫びたい気持ちを抑え込み、『次はもっと頑張るね』と言っていた。

やがて、わたしの仕事量が殺人的に増え始めた。
毎日の睡眠時間は、3時間とれればマシな方…という状態になった。
注意欠陥障害の二次障害で、うつ病となって通院していたわたしだったが、病院に通う時間すらも、取れなくなり始めた。

家に帰る度、夫は言う。
『汚い。安らげない。主婦失格だな』
主婦業をやって欲しいのなら、わたしの仕事量を何とかして!
そう叫びたかった。
わたしは、夫の会社で働いていたのだ。
『だって…わたしが今凄く忙しいのは、
 あなたも知ってるでしょう?』
『努力すれば、何とかなるだろう?』
『……注意欠陥障害だから、努力だけでは
 どうにもならないって…言わなかったっけ?
 効率的に掃除をするにはっていう、
 回路が脳に無いんだよ…?』
『どうでもいい事には、凄い集中するじゃないか。
 その力を家事に向ければいい。
 そういう努力をすればいい』

だから!
それが出来ていればわたしは、二次障害になど罹らなかった!
自分でも何故、それが出来ないのだろうかと苦しむ事はなかった!

『…お願い、注意欠陥障害について、
 少し学んで欲しい…。
 わたしの持ってる本を、読んで…?』
『そんな時間は俺には無い』
『…それなら、わたしの仕事量を、
 何とかして…?』
『お前の部下を雇おうとしているだろう?
 それまで待て』
『………』

やがて夫は、家に帰ってこなくなった。
『夫の安らげない家なんて、最低だ』
と言いながら。

夫の言う通り、わたしの部下が雇われたが、結果的にわたしの仕事量は、もっと膨れ上がる事になった。
殆ど寝ない生活を、どのくらい続けただろうか。
食事をすれば眠くなる…という理由で、食事もまともに摂らなくなった。
両手を壊したのも、この頃だ。

会社で夫に、自分の窮状を訴える。
『努力しろ』
夫からは、それしか返って来ない。
家の中は、とても人間が住んでいるとは思えない状態に、なっていく。
自分でも、こんな家は嫌だ、と思うが、最早どこから手をつけて片付ければ良いのか判らない。
ハウスキーパーを頼もうともしたが、家の場所が田舎過ぎて、業者が見付からない。

『そんな田舎に住んでるからだ』
夫が嘲笑う。
『そこに家を建てたのは、あなたでしょう?』
そう言うと、
『そこが気に入ったと言ったのは、お前だ』
と言われる。
その通りだった。

『こっちに引っ越せと言ってるだろう?
 そうすれば、少しは楽になる』
『犬や猫が居て、こっちに家なんて見付からないよ』
『犬や猫を欲しがったのはお前。自業自得だ』
反論できない。

こうしてわたしは、どんどん追い詰められていった…。




家......(2)

2008/07/19(土) 13:02:08
『離婚してくれ』

その言葉は、会社で仕事中だったわたしのデスクトップに、突然メッセンジャーを使って送られてきた。
唖然とした。

『どうして?』
『お前は、家庭というものを知らな過ぎる。
 主婦としても完全に失格だ。
 これ以上は我慢できない』

周囲の物音が、すぅっと遠くなり、消え去った。
顔を上げて、夫のデスクを見た。
夫は、目を上げなかった。
無表情で、自分のPCのモニターを見つめ続けていた。



わたしが注意欠陥障害だと判った時、わたしから夫に離婚を申し入れた。
脳の構造上の欠陥である以上、わたしの家事能力は、努力で改善できることではない。
夫の求める家庭を作ることは、わたしには出来ない。
その時、夫は言った。

『家事だけが妻の仕事じゃない。
 仕事で俺を支えてくれればいい』

わたしは、その言葉通り、夫の為に、仕事で貢献してきたつもりだった…。



『あの時、そう言ってくれたのに…』
そう送信した。
『限度というものがある。
 もう限界だ。』


『あんたって本当に嫌な子だね。
 そのうち(夫の名)さんにも嫌われるに決まってる』

母親の声が、雷鳴の様に轟いた。
わたしと電話で言い争いになる度に、彼女が呪文の様に繰り返していた言葉だった。
その通りに、なった…。

わたしの中で、何かが、粉々に砕け散った……。


『話し合いたい』
と申し入れても、夫の返答は
『もう決めた。
 話し合う事はない。
 忙しくてそんな時間もない』
だけ。

こんな状態で、それ以上仕事を頑張れる筈もない。
退社する準備を整えながら、表面上は何事もなかった様に振る舞い続ける。

もう少しの辛抱。
退社さえしてしまえば、自分の本心を隠さなくてもいい。
泣き叫びたいのを堪えて、ニコニコしていなくてもいい。
もう少し。
もう少し…。

『話し合えない?』
隙を見て、夫にメッセンジャーを送る。
『忙しい』
夫は、わたしを一瞥もしない。

わたしは会社を辞めた。
家で、呆然と暮らす日々が始まった。
ここ数年の忙しさで、家の中は既に、人間の居住空間とは思えぬ様相を呈していた。
そんな家の中で、ひたすら眠るだけの生活を送っていた。


暫くして、夫と、もう一人の役員が家にやって来た。
わたしが会社に残していた私物をダンボール箱に詰め、持って来たのだ。
ダンボール箱は、役員の手で玄関前に置かれた。
夫は、車から降りても来なかった。

家の中に、ダンボール箱を運んで、開けた。
わたしの私物が、徹底的と言える程、会社から排除されたのが判った。
馴染みのないものも、いくつか出て来た。
なんだろう、これ…?
眺めているうちに、気付いた。
夫の私物…しかも、壊れたものや、古過ぎるもの。
不用品。
ゴミ。

わたしは、泣いた。




家......(3)

2008/07/19(土) 16:17:35
散らかり果てた家の中で、ひたすら眠り続けた。
時々、以前から参加していたネットゲームに参戦して、現実を忘れ、ゲームの世界に没頭する。
ゲームが終わると、再び眠り続ける。


たまに、夫から携帯にメールが入る。

『いつまで遊んでいるつもりですか。
 そろそろ次の仕事を見つけて、
 自立してくれませんか。
 それまで離婚は待ってあげますから』

夫は、わたしが完全に壊れてしまったのが、判っていないのだろうか…?
それとも、そんな事はどうでも良く、ともかくわたしと縁を切る事しか考えていないのだろうか…?

数ヶ月ぶりに夫から電話があった時、わたしは、声を出そうとしても出ない事に気が付いた。
無理に出そうとすると、悲鳴の様な絶叫が迸りそうになる。
そんな声を出してしまったら、自分が益々取り返しのつかない事になりそうだった。
必死で絶叫を飲み込むと、声も出ない。

『いい加減にしてくれ』

無言のわたしに、夫はうんざりした声で言うと、電話を切った。

メールで夫に、声が出せないと知らせたが、夫からは『早く治して自立しろ』と返事が来ただけだった。


随分長い間、わたしの本能の奥底で呪詛の様に呟かれていた言葉が、日に日に大きくなっていく。
その為に一番、確実な方法は…?
全てが終わった後、誰にも迷惑をかけない方法は…?
ネットで情報を探し求め…結果、誰一人として迷惑をかけない、などという方法は、無い事を知る。
けれども、もうこれ以上、存在しているのは嫌だ…。

家の中のものが、次々に壊れ始めた。
お風呂が。
トイレが。
電化製品が…。
けれどもわたしは、壊れたそれらを眺めているだけだった。
修理しようという意思も、何とかしなければという意思も、湧いて来なかった。

こんな状態の中、今にして思えば幸いだった事は、食事は最低限、摂っていた事だろう。
時々参加していたネットゲームでの思考力を確保する為、参戦している間は、コンビニで調達してきた食料を口にしていたのだ。
もしもこの時、ゲームに参加していなかったら、わたしは食事すら摂らなくなっていたに違いない。
実際、参戦していない時は、食べていなかったのだから。

また、コンビニに行くことで、声が完全に出ない訳ではない事にも気付いた。
『いいえ』『○番ワンカートン』
このふた言だけだったが、店員相手に喋る事は出来ていたのだ。


自分の存在を、消したい。
でも出来ない。
誰かに必ず迷惑をかけてしまうから。
でも、もう存在していたくない…。


そんな思考の堂々巡りの中、死体サイトやグロ動画サイトを巡り、そうなった自分を想像する。
自己の存在さえ消せてしまえば、後の自分がどうなろうが、知った事ではない。
むしろ、静かに腐敗していく死体を、タイムラプスビデオで撮った動画には、とても魅了された。
何をやらせても駄目な子で、夫からも見放される様なわたしは、こうして虫たちの栄養源になった方がずっと有意義だ、と…。
腐っていくのだ。
この家と共に。

それは、とても甘美な結末に思えた。

その一方で…近所の人の事を、思う。
すぐ傍の家でそんな死体が発見されたら、普通の神経の人ならどれだけ不愉快な事だろう。
また、そうなる前に自分に出来る事はなかっただろうか…などと考え、苦しむ人も居るだろう。
やはり、実行なんか出来ない…。


そんな事ばかりを考えながら、声を出さずに涙を流す毎日を、過ごしていた……。




家......(4)

2008/07/23(水) 16:46:44
そんな生活が始まって、1年くらいしたある日。
小包を受け取った。
母親からだった。

中から、じゃがいもや玉ねぎという、どこででも買える様なものが出て来た。
長い手紙には、今の自分の生活が非常に苦しい事、仕事がとても大変な事が繰り返されており、わたしが会社を辞めたと知って驚いていること、心配していることと共に、『これからの足しにして』と、現金1万円が、出て来た。

『お母さんもお金にはとても困っているけど、
 他でもないあなたの為だから、
 爪の先に火を灯す様にして蓄えた中から、
 ほんの少しだけど送ってあげます』

その小包を受け取る少し前に、結婚して子どももいる妹から、母親が孫の為にどれだけお金を使うかという話を聞いたばかりだった。
つい先日も何やらを買って貰ったと言っていた。
わたしはそれを聞いて、そんな高価なものが買える生活なのか…と思ったのだった。

『あんたを助けてあげられるのは
 お母さんだけよ』

獣の咆哮のような音がした。
わたしの、絶叫だった。

『お母さんだけは、何があっても
 あんたの味方だからね』

母親は、わたしの事情をどこまで知っているのだろう?
誰が、知らせたのだろう?

『だから遠慮なく頼りなさい』

文面から立ち上る、母親の、本心。

自分の周囲に不幸に見舞われた人が居ると、母親は、何とかして救いの手を差し伸べようとする。
しかしそれは、純粋にその人を気の毒に思っての行動ではない。
善行によって自己満足を得る為だけでもない。
周囲に、善人であると評価される為だ。
その人物或いはその様子を見ていた周囲から、何らかの見返りが得られることを期待してもいる。
そういう性根の持ち主であることを、わたしは熟知していた。

だから彼女は、不幸な人物を見つけると、表面上は『お気の毒に…』と沈痛な様子をしながらも、自分の出番が来たことを喜んでいる感情が抑えきれず、言動の随所から喜色が臭い立つのだ。

それまで何度、その手の自慢話を聞いてきただろうか。
『あの人ね、可哀想なのよ~』と、喜悦の滲んだ声音で話題にする。
自分がどんな手助けをしたか。
どれだけ自分が、その人に感謝されているか。
その恩返しに、どんな事があったか。
詳細に語り、わたしからまでも『お母さんは偉いね』という賞賛の言葉を、引き出そうとする。
それが、母親という人だった。


だからこの時、彼女にとって今度はわたしが、彼女を満足させる為の美味しい材料にされたのが、判った。
それだけではない。
母親にとっては、わたしは、とても冷たく意地の悪い娘だ。
今まで酷い仕打ちを受けていたけれども、娘に何かあったと知るや、すぐに救いの手を差し伸べる。
私って、なんて慈悲深い母親なんだろう。
あんたもそう思うでしょう?
今までの行いを反省しなさい。
そして私に感謝しなさい。
そう仄めかされてもいた。

母親に、かけられる憐れみ。
母親に、売りつけられる恩。
途轍もない屈辱だった。

一度爆発してしまった激情は、なかなか収められなかった。
わたしは、身を揉んで、号泣した。


数日後、夫から、メッセンジャーを使って連絡が入った。

『近い内に、お前のお母さんが、そっちに行く』
『どうして?何しに?』
『お前の事を心配して、暫く面倒を見たいと言ってる』

母親の耳にわたしの現状が伝わったのは、夫が原因らしかった。

『冗談じゃない。
 わたしとあの女がどういう関係か、
 知らないあなたではないでしょう』
『でも、これ以上、お前を一人で
 置いておけない』

棚の上で寝ていた猫が、ギョっとした様に顔を上げ、わたしを凝視した。
わたしは、不気味な唸り声を上げていたのだ。
再び、感情が爆発してしまった。
制御出来なくなってしまった。

『あの女を絶対にこの家に近付けないで。
 もしも来たら、わたし何するか判らない。
 殺してしまうかも知れない』
『おいおい、何を言い出すんだ』
『いや…あれを殺すより、
 わたしが目の前で死んで見せた方が、
 面白いかも知れない』
『どうしたんだ。
 落ち着け。しっかりしろ』

涙が、止まらなかった。

『あの女を、絶対に来させないで。
 でないと何をするかわからないよ』
『わかった。
 わかったから、落ち着いてくれ』


メッセンジャーを落とした後、わたしは床に伏して号泣した。
長い間、心の奥深くで反響していた願望…。
言霊が宿るのを恐れるかの如く、言語化することを拒んでいたことを、ついに文字にしてしまった事に、打ちのめされた。
更に、自分の要求を通す為に、自らの命を利用したことにも、痛恨の思いがあった。
離婚出来ないなら死んだ方がマシ。
再婚出来ないなら死んだ方がマシ。
そう言ってわたしを翻弄してきたあの女と、今のわたしとは、どこが違うと言うのだろう。
同じだ。
同じレベルまで、堕ちてしまった……。

涙も唸り声も、なかなか止まらなかった。




家......(5)

2008/07/28(月) 11:10:12
朽ち果てたい。
この家で。

一度言語化してしまった願望は、本当に言霊が宿りでもしたかの様に、日に日にその存在感を増してゆく。

けれども、今ここでわたしが自殺などしてしまったら…。
母親は間違いなく、その責任を、夫や夫の家族に擦り付けるだろう。
そしてそれを糾弾する為なら、手段は選ぶまい。
そんな迷惑をかける事は、出来ない。
わたしは、夫やその家族を憎んでいる訳ではないのだから。

それに…。
わたしは、時折入る、妹からのメールを見る。
子どもの成長を報告してくる、能天気なメール。
『またその内、ゆっくり会おうよね』
わたしが自殺してしまったら…少なくともこの妹は、凄まじいショックを受けるに相違ない。
そんな傷を、妹に与えたくない。

けれども…最早呼吸をしているのも、苦しい。
空気が、苦い…。

わたしは、どんどんネットゲームに没頭していった。
ゲームをしていない時は、読書に没頭した。
ともかく思考を現実から切り離し、自身の生死について考えない為、逃避に逃避を重ねた。
そうしながら、生きる為に生産的なことをしようとしない己を軽蔑し、憎悪する。
死んでしまえば良いのにと思う。
でも死ねない……。

思考は、無限ループにはまり込む。

本当に、地獄のような、日々だった。


こんな状態のわたしが、自分の存在する環境に意識を向け、快適に過ごせるよう気を配れる筈もない。
家は、筆舌に尽くしがたい状態となり、とてもではないが人間が生活出来る空間とは言えなくなり、わたしより先に腐り落ちてしまいそうになっていた。


やがてわたしは、夫の手配で、以前通っていた心療内科に再度通院する事となった。
死ぬ訳にいかぬなら、まずはわたしの心を雁字搦めにしている鎖を撤去する作業に入らねばならず、その為には病院に通うしかない。
わたしの中の微かな理性が、通院を承諾させた。

薬を服用し始めた事で、表面的には少し落ち着きを取り戻し、再就職も果たす事が出来た。
けれども、家の惨状は、どうする事も出来なかった。
もともと片付けられない上に、片付ける気など皆無の状態で過ごしていた家だ。
今更片付けようにも、どこからどう手を付ければ良いのかすら判らない。

家の片付けを彼に約束させられたものの、作業は遅々として進まず、現在に至っていたのだった…。





歯...(1)

2008/12/30(火) 00:16:19
わたしの歯並びは、驚異的に、悪い。
何処の歯科医にかかっても、まずはその歯並びの悪さに、必ず驚かれる。
片側の奥歯が全く噛み合っておらず、奥歯としての役割を果たしていないのだ。
ある歯科医に、歯の抜け替わる時期の経験を話すと、それが原因なのではないか、と、言われた。


乳歯から永久歯に抜け替わる年頃。
わたしの奥歯が、ぐらつき始めた。
奥歯が動き始めたのは、それが初めてだった。
母は、わたしを歯医者に連れて行った。
虫歯の時に行くいつもの歯医者ではなく、車に乗って、遠い所の歯医者に出掛けたのが、不思議だった。

ぐらついている奥歯の下から、永久歯が押し上げているレントゲン写真は、見た記憶がある。
『どうせ永久歯が生えてくるんだから、
 このついでに奥歯を全部抜いて欲しい』
母が、言った。
今にして思えば、それを了解する歯医者もどうかしている、と、思う。
『奥歯が抜け替わる度に、
 いちいち歯医者に行くのは面倒ですから』
わざわざいつも通っているのとは違う歯医者に行ったという事は、そういう事を引き受けてくれる歯医者を探して行ったのかも知れない。

この時の記憶は、非常に断片的だ。
憶えているのは、四肢を誰かにがっしりと押さえ付けられていた事。
顎をガクガクと揺さぶられる、恐ろしい感触。
バリバリ、メリメリと、硬い物が砕かれる様な音。
歯医者の『ホラ、泣かないで!』という苛立たしげな声。
自分自身の、獣の咆哮の様な悲鳴と泣き声。
そして…そんなわたしを笑顔で見下ろす、母の顔だ。

歯医者でのわたしの状態を、おそらくは父に報告している時の、
『もう、おっかしいの。
 殺されそうな声上げて、わーわー泣き叫ぶのよぉ』
という喜色に弾んだ口調も、耳に深く残っている。

当時は、小学生だったと思う。
歯に関する次の記憶は、給食の時間に飛ぶからだ。

給食の際は、机を動かし、正面に誰かが向かい合う形にするのが通例だった。
その日、わたしの前で給食を食べていた子が、突然言った。
『しのぶちゃんの食べ方、なんだか変!』
わたしは、何の事を言われているか、判らなかった。
同じグループの子どもたちが、皆でわたしの顔を覗き込んだ。
『わー、ほんとだ。
 うちのおばあちゃんの食べ方だ!』
『あ、そうだそうだ。そんな感じ。
 なんでそんなおばあちゃんみたいなの?』
そこまで言われて、初めて気が付いたのだ。
奥歯が全くないから、おかしな食べ方になっているのだと。
『奥歯を抜いたから、仕方がないの!』
必死で弁解するわたしの声は、離れた席からまでわざわざ覗きに来る子どもたちの嬌声に、無力にかき消される。
『ねー、ねー、見せて見せて』
『ほら、早く口に入れてよ。早くう!』
嫌がって抵抗すると、乱暴な男子が催促しながら頭を叩く。
無理やり口の中にパンを押し込まれ、仕方なく咀嚼すると、わたしを覗き込んでいた子どもたちが、腹を抱えて爆笑する。
『おばあちゃんだ!おばあちゃんだ!』
『お猿さんにも似てる!』
『あ、似てる似てる!』
何時までこの時間が続くのか。
もうクラスの全員は見終わったか。
さっさとわたしの前から立ち去ってくれないものか。
それだけを、考えていた。

家に帰り、その事を報告した。
『どれどれ?』
母親は、わたしに食べ物を与えて、顔を覗き込んだ。
咀嚼する。
母親も、爆笑した。
『ほんと、入れ歯の無いおばあちゃんみたいねぇ!』
わたしは、泣いたと思う。
泣きながら、母親がわたしの奥歯を抜かせた所為だ、と詰ったのだろう。
彼女は、表情を豹変させ、激怒して金切り声で怒鳴りつけた。
『びーびーびーびーうるさいっ!
 そのうち大人の歯が生えてくるんだから、
 それまで我慢しなさいっ!!』


妹たちは、その時期を迎えても、無理やり乳歯を抜く様な目には、遭わされなかった。
そしてわたしは、歯医者に行くと、あの時の診察台で味わった恐怖を思い出し、時には歯医者に笑われてしまう程、異様に緊張する様に、なった。




歯...(2)

2008/12/30(火) 01:37:53
歯に関することで、わたしにとってもうひとつ不幸だったのは、遺伝的に、歯並びの悪くなる要因をも持っていた事だ。

母方に似れば、歯並びは良い代わりに、がっしりとした顎になり、エラが張った顔かたちになった事だろう。
わたしは、エラの張った顔つきには、ならなかった。
父方の、細い顎の骨を、受け継いだのだ。
歯の形状は、母方を受け継ぎながら。
歯の大きさに対して、それを並べる顎の骨が小さい。
だから、自然歯並びは悪くなった。
一番酷かったのは、前歯が1本、完全に歯列の内側に生えている事だった。

母は、わたしの歯を見る度に、眉を顰めて言った。
『汚い歯並び。
 お父さんに似たのねぇ』

この八重歯は、噛み合う歯ではないから、変な場所に生えていても舌を噛むという事は、無い。
完全に内側に生えている為、ぱっと見られただけでは、八重歯があるとも気付かれない。
実害は無いという事で、歯列矯正をする程の事も無い、と言われていた。
『それに、矯正ってすっごくお金かかるしね。
 ものを噛んで食べられるんなら充分よ』
奥歯が片側、全く噛み合わない為、ものを噛んで食べるにも不充分だった事を、母親は、今でもおそらく知らない。
歯医者に対する恐怖心から、徹底的に歯医者を忌避する様になったわたしは、結婚した後になるまで、自分の歯並びについての詳しい説明を受けた事が、無かったからだ。

それでも、時に、虫歯の激痛を堪え切れなくなって駆け込む歯医者では、必ずこの八重歯を抜いてしまおう、と言われた。
放置していればどんな弊害があるか、説明される。
曰く、歯周病になりやすい。
曰く、空気が漏れる事で、言葉の発音が不明瞭になる。
『嫌です。抜きません』
わたしが拒否すると、歯医者たちは揃って、不審げな表情になった。
『どうしてですか?
 残していても、何もいい事ないですよ』
いい事は、ある。
あの時の恐怖をそのまま再現すると思われる、虫歯でも親不知でもない、健康な歯の抜歯。
それを味わわないで済む事それだけで、抜歯しないメリットは、わたしにとって充分だったのだ。
例え、その当時の男たちに、口でされると八重歯が当たる、と、文句を言われていても。


口を開けて、彼に、わたしの八重歯を見せる。

  何だそれ!?
  すげぇとこに歯があるな…。


彼が、吃驚して声を上げる。
わたしも、少し吃驚する。
今まで散々口づけを交わし、わたしの口腔を余すところ無く舌で愛撫しながら、この歯には気付いていなかったのか。

  うん…。
  Tさんのを口ですると、この歯が
  時々当たってしまうのよね。
  邪魔だから、抜いちゃおうかと思うんだけど。


彼は、それに対しては、何もコメントしなかった。


『あなたみたいに怖がられると、こっちも凄く怖いんですよ。
 そこまで緊張されると、痛いところに触れた途端、
 反射的に私の手に噛み付かれるんじゃないかって』

かつて、そうわたしを詰った歯医者が、居た。
歯医者さんにはそんな恐怖があるのか…と驚き、申し訳なく思いながらも、流れ落ちる脂汗と手の震えを、どうにも出来なかった。
そんなわたしが…八重歯の抜歯を検討するなんて。
それも、フェラチオやイラマチオを、思う存分堪能したい、という理由で。

そんなに、彼に溺れたいか。
そこまで、快楽を貪りたいか。

その通りよ。

己の内で生じた疑問の声に、正面切って、返答する。
彼が、わたしの淫乱さを引き出してくれる度に、わたしは、生きているのが楽しくなる。
ならば、なれるところまでとことん淫乱になりたい。
その為の努力を、惜しまない。

わたしの内から、それを非難する声は、響いて来なかった。