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得る

2009/12/31(木) 05:21:28
この時以降、Sとの会話の回数は、目に見えて減っていった。
ただ単に、社会人らしく規則正しく生活しようとしたら、そうそう頻繁にメッセンジャーで話し込む訳にはいかなくなった…というのが一番の理由ではあったが、これ以上Sに失望する機会を作ってしまいたくない、という意識があった事も、否定できない様な気がする。

それでも尚且つ、心はSに支配されている…と思い込んでいたのは、おそらく、彼、Tさんに、全身全霊で縋り付いて良いものかどうか、まだ判断出来ていなかったからに過ぎなかったのだろう。



しかし、ここで事態は急変した。
彼にこのブログを読まれ、その結果、初めてお仕置きを受けた事である。

そしてこの時に、彼に依存してしまいたい…というわたしの本心は、彼に見透かされ、その上綺麗に拒否された。

彼が否定したのは、わたしの、ものの考え方だった。
そういう考え方をするわたし自身を、否定したのでは、なかった。

この瞬間から、わたしの中に、今までわたしが感じた事のないものが芽吹き、その後の彼との付き合いの中ですくすくと成長し、そして今現在のわたしを構成する重要な要素となった。



彼は、言った。
俺は、お前自身を写す鏡だと。
彼のみならず、周囲の人間も、そうなのだと。

今、こうしてSとの間であった事を書き綴ってきて、わたしは、あの言葉の意味を、骨身に沁みて実感した。

Sは、他人の相談に乗ったり、他人の揉め事に介入して活躍したりする事で、自分自身を確認していたのだと思う。
そして、女の相談は共感を求めているだけという一般論に従い、わたしの話には相槌と慰めだけで応じた結果、半ば聞き流しているに近い状態になっていたのだろう。
そんな相手がわたし以外にも沢山居た訳だから、わたしの状況など一々覚えている筈も無い。
誰かの相談に乗る自分。
悲惨な動画に心を痛める自分。
そういう自分を確認し、愛そうとしていたのだと思う。

そんなSに縋り付いていたわたし自身は、どうだっただろう?
自分自身を、殺してしまいたい程に嫌悪していて、他者に依存し他者に必要とされる事で、自分の存在を許容したいと考えている、自己中心的で、愚かで、醜い女。
それが、あの頃の、わたしだ。

書けば書くほど、己の醜さが浮き彫りとなってきて、あまりの恥ずかしさ情けなさに、記事を全て削除してしまおうかと考えもした。

けれども、この醜さを、わたしはきちんと直視しなければならない。
二度と同じ轍を踏まぬ様、書き残す事で自身の中に刻み付けなければならない。
記事を削除して無かった事にしてしまったら、今手中にしているものの事も、いつか見失ってしまうだろう。
この一連の出来事で、わたしは、わたしの核とすべきものを得たのだ。
これを手放す訳には、いかない。
絶対に。


自信。


これが、わたしが手に入れたものである。





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