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憤る

2009/12/28(月) 14:44:14
心の奥深い部分では嫌悪感や軽蔑を覚えつつも、それに気付かぬフリをして、目の前に迫ってくる現実から逃避したい一心で、毎晩の様にメッセンジャーで会話する毎日が、続いていた。

そんなある日、わたしのPCの、周辺機器の話になった。
Sは、PCに詳しく、自作PCを組む程だと言うので、ちょうど購入を検討していた機器の事を、相談してみたのだ。

  あー、それなら、これのがいいかなー。

  え、さっき教えてくれたのと、どう違うの?

  それはだな…

  んと、わたしがやりたいのは、これね。
  それだと、どっちがいいのかな?
  一番簡単かつリーズナブルに
  実現できるのを教えて。


次から次に、これもある、こんなのもある、と教えてくれる。
一体何を購入すれば良いのか、聞いていて段々混乱してきた。

  まー○○(某電気店街)は、俺の庭だねw
  ○○(PC店)じゃ俺はカオだし、
  △△(PC店)も、割と俺の言う事聞いてくれるw
  かなり安く買い物してるぜwww


  あ…そんじゃさ、今度買い物に付き合ってくれない?
  今こうしてあれこれ悩んででもしょうがないし、
  安くなるんだったら、とても助かる。


  あー、そだな。
  あと接続してセットアップしなきゃいかんし、
  それもお前だと苦労しそうだしなww
  買いに行って、その後やってやるか。


ふと、そのセットアップは、どこでやるのか…という疑問が浮かんだ。
Sの家だろうか…?
そんな所に行けば、今度こそ、乳房を揉まれるだけでは済むまい。

それでもいい。
考える事を、やめる。


わたしは、何故あんなに、Sに抱かれたかったのだろう?


皆とメッセで会話している最中に、Sからわたしへの個人的なメッセージが飛んでくる。

  まんこに指を入れろ。

  ちょ…何なのいきなり。

  黙れ。命令だ。
  指を入れろ。


  …生理中だから無理…。
  勘弁してください…。


  また生理かよwww
  上手く逃げやがったなwww
  ま、今日はこのくらいで許してやるか。



そんな感じの会話が、繰り返されていた。
長い間、無意識下に封じ込めていた性欲と被虐嗜好を刺激されていたわたしには、それを不快に感じる余裕は無かった。
こんなわたしの本性を知るSなら、わたしを精神的にも性的にも満足させてくれるに違いないという妄信が、あった。
Sに対して感じ始めていた不信感は、それよりも数段強烈な、満たされたいという欲望によって、容易く駆逐されていた。
それだけでは無い。
度々聞かされていた、Sの巨根自慢やセックステクニック自慢を、体験してみたいという好奇心も、とても強かった。
だから、会って、そういう機会が訪れるのを、わたしは求めていた。


  それじゃ、○日に、よろしくね。

  ラジャw

待ち合わせ予定を決め、会話を終える。
マップサイトを開き、待ち合わせ場所の住所をメモする。
カーナビに登録し、所要時間を確認する。

Sとの付き合いで、外に出る事、人の多い場所に行く事は、出来る様になった。
だが今度は、全く土地勘の無い場所での待ち合わせである。
きちんと辿り着けるだろうか…と、既に緊張し始めていた。

約束の当日。
早起きをして、入浴する。
手が、微かに震えている。
大丈夫…独りで行くんじゃないから、Sさんも居るんだから、そんなに緊張しなくても、大丈夫…。
自分に言い聞かせながら、身支度を整える。
その時、携帯メールを受信した。Sからだった。

  ごめw今日キャンセル。
  用事が出来たw


  えー!用事って何、仕事?

  仕事じゃないけど、ちょっとな。

  具合でも悪いの?

  や、それはだいじょぶ。

仕事じゃないのなら、わたしと会う事より優先度の高い私用が入ったという事だ。
しかし、わたしとの約束は、数日前から決まっていた。
わたしなら、余程の事が無い限り、仕事以外の私用は、決定した順番が優先度となる。
当日の朝になってドタキャンするなんて、かなり体調が悪い時か、その予定そのものが、どうしても行く気が起きぬ程、嫌で嫌でしょうがない時くらいだろうか。
Sは、わたしとの約束が、そんなに嫌だったのだろうか…?
けれどもメッセで会話していた限り、そんな様子は見受けられなかった。
そして、わたしなら、ギリギリのタイミングでキャンセルする時は、仕事を理由にするだろう。
体調不良を理由にすれば、相手に心配までかけてしまうし、仕事以外を理由にすれば、ドタキャンされた真の理由をあれこれ思い煩わせてしまう。
だから、仕事と言っておくのが一番無難だと考えていた。嘘も方便である。

  ごめwwww
  必ず埋め合わせするからwww


  しょうがないな…。
  じゃ、またの機会にという事で。


  すまんwww

携帯電話を放り出し、虚ろな気持ちで部屋着に着替え、布団に潜り込む。

何故、ドタキャンされたのだろう…?
今日会えば、男女の関係に進展する可能性が非常に高いと思っていたのは、わたしだけではあるまい。
Sは、それを忌避したのだろうか…?
だが、Sは、奥さんと別居して以降、3人ほどと付き合ったと言っていた。
Sのペニスを見て、「こんな腕みたいなの入らな~い」と言ったという女性たちである。
関係の発展を拒む様な、奥手な部分があるとは思えない。
とすれば、口では抱きたいなどと言いつつ、実は、とてもじゃないけれどわたしはそんな対象ではない…と考えているという事だろうか…?

突然生気を失い、横臥して動かなくなってしまったわたしの顔を、犬が、心配そうに覗き込む。
視線を合わせてやると、安心した様子で尻尾を振り、遠慮がちに顔を舐めてきた。
その頭を撫でてやりながら、薄く笑う。
まぁ…こんなに精神の均衡を崩してる女なんて、後々どんな地雷になるやらわからないし、進んで関係しようとは普通は思わんわな…。
己を嘲笑しながら、横に寝そべった犬を抱き寄せ、眠った。


その夜も、懲りずにわたしはメッセンジャーを立ち上げる。

  おー、今日はごめんなw

  いや…用事って、何だったの?
  首尾よく終わった?


  あー、まぁなwww
  大丈夫だよん。
  今度埋め合わせするわな。


今度…今度って、本当に、あるの…?
本気で、今度って機会を、作る気ある…?
そう訊きたい気持ちを、抑える。

  でもま、さ。

Sが、続ける。

  こうしてドタキャン出来るのも、
  俺とお前の関係だからなんだぜ。


  え…何それ、どういう意味?

  こんな事くらいで壊れる関係じゃない。
  そんな軽いもんじゃないだろ、
  俺とお前の関係は、さ。
  だろ?



この時、心の中で膨れ上がった憤りは、いつもの様に気付かないフリをする事は、出来なかった。
何なんだろう、この言い草は。
そんな表面的なお綺麗な言葉で、わたしの自尊心が擽れるとでも思っているのか。
これでわたしの機嫌が良くなって、丸く納まるとでも思っているのだろうか、この男は。

怒っては、いけない。
この人のお陰で、わたしは、外に出る事が出来た。
外に出られたお陰で、もうすぐ就職も決まりそうだ。
近所の人とも、緊張せずに話が出来る様になった。
怒っちゃいけない。
この人の、お陰なんだ。

そう考えて、怒りを鎮めようと、努力する。

  ん…そだね。

やっとの思いで、そう返答する。

  ん。判ってるんなら、いい。
  そんでさ~…


Sは、これでこの問題は終わったとばかりに、他の話題に切り替えた。
わたしも、己の怒りを封じ込めて、その会話に付き合う…。いつもの夜となった。

しかしそれから数日後、決定的な出来事が起きる事になる…。





直視する

2009/12/28(月) 21:36:46
  これから、面接に行くよ。
  無事に決まる様、祈ってて。


Sに、そうメールを送り、わたしは携帯電話を畳む。

近所の人の伝で、決まった話だった。
期間短期の契約社員で、仕事内容も単なる事務との事だし、わたしのリハビリとしては、とても適当な仕事と思われたので、話を繋いで頂いたのだ。

緊張しながら面接を受け、無事に採用される事となった。
初出勤の日も、決まった。
安堵と喜びに満ち溢れ、Sにメールする。

  決まったよ!
  ○日から、働きに行く事になった。
  どうもありがとう!
  これも、Sさんのお陰だよ!


Sからの返事は、無い。
これは、少し珍しい事だった。
しかしあまり深くは考えず、いよいよ引き篭もりを卒業して、社会に踏み出す事になったという現状を、その喜びを、噛み締める。

Sと連絡がついたのは、数日後のメッセンジャー上でだった。

  就職決まった様だな。
  おめでとう。


  んー、ありがと。
  暫く出て来てなかったね。


  ああ。実は、知り合いが自殺してさ。

  …えっ?

  バタバタしてて、連絡出来なかった。
  すぐにおめでとうを言いたかったんだが、
  お前から決まったってメール来た時、
  俺は、遺体確認の為に警察に居たw


絶句した。
すぐに思い当たる事があり、それを口にする。

  もしかして…例の、あの子…?

  そ。



いつだったかの深夜、メッセでSと二人で会話していた時、Sからのレスポンスが暫く途絶えた。
寝てしまった…?と思った時、返答があった。

  すまん、ちょっと出掛ける。

  は?これから?
  夜中の3時だよ?


  ああ。急用が出来た。
  そんじゃ、またな。


Sは、あっさり会話を打ち切り、メッセをオフにした。
普通の社会人が、こんな時間に急用で出掛けるって、何なんだろう…?
不思議に思ったが、その疑問は、すぐに解消される事となる。

  お前、自殺未遂とか、
  してねえだろうな?


後日、メッセでわたしの話を聞いていたSが、突然言い出した。

  自殺未遂?
  リストカットとか?
  してないよ。


  そうか。それならいい。
  あれは実際、周囲の人間が大変なんだ。
  俺の知り合いに、やたらリスカする奴が居てさ。


  もしかして…こないだ3時に、
  急に出掛けるっての…その子の関係…?


  あー、そうそう。
  リスカしたって電話があってさ。
  行って、宥めてきた。
  もー大変www


それから暫く、Sは、その女の子の症状や障害内容について、色々と話していた。
その内容は、わたしが聞いていても、悲惨で気の毒で、同情する余地は充分あった。
けれどもわたしは、リストカットについては否定的な考えの持ち主だった。

わたし自身も、根強い自殺願望に、翻弄されている人間だ。
けれども、その手段として、リストカットは候補に挙がらない。
手首は、余程深く切り裂かないと、死には至らないと聞くからだ。
わたしにとって、わたしが行うリストカットとは、周囲に対する「わたしはこんなに辛いの。苦しんでるの」というデモンストレーションに他ならないものだった。
わたしは、自殺を企図するなら完遂させたい、未遂で終わらせるのだけは絶対に御免だ、と考えていた。

もっとも今、実際にリストカット癖で苦しんでいる方に対して、この考え方を用いて説教などをする気は、毛頭無い。
手首を切る事によって、本当に精神の安寧が訪れる方も、生きていく気力が湧く方も、確かに居るのだろうと考えている。
あくまでも、わたしにとっては、己の辛さのアピールに終わる様に感じるから、わたしはやらない、というだけの話である事を、ご理解いただければと思う。

その時も、その考え方を、Sに説明した。

  だからわたしは、リスカはしないよ。

  あー、まぁ確かにな。
  最近は、デモンストレーションになってて、
  俺に構って欲しいから切ってるだけって印象も
  受けてるんだよな。


  そう思うんだったら、相手しないってのも
  選択肢なんじゃないの?
  振り回されるのが、
  本当にしんどいんだったらさ。


  そだな。考えとくわ。
  つーかお前、リスカしない、じゃなくて
  自殺しないって言えよwww


  あーwww
  まー考えない様になれればいいけどねーw


そんな会話をした事を、思い出す。



  何で、死んだの…?

  薬。○○(薬品名)と、酒。

その薬品のオーバードーズで死ねるとは…と、不思議に思った。
アルコールと併用したのが、奏功したのだろうか。

  いいか、お前、絶対に死ぬなよ。
  死んでも、楽にはならないぞ。
  すげー苦しそうな顔してたよ。
  吐血してたしさ。


その薬品で、吐血…?
それは、聞いた事が、無い。
死後数日経っていたという話だから、口内の粘膜がすでに腐敗し始め、液状化して流れていただけではないだろうか…?

確実に死ねる方法を模索していた時期に培った無駄な知識が、わたしの中で、囁いている。

完遂してしまった彼女に対する羨望が、夕立直前の雲の様に湧き上がる。

その一方で、わたしが完遂してしまうと、Sの立場を務めるのは妹になるだろう。あの子に、こんな思いをさせる事だけは回避しなくてはならない…という思考が、その羨望を霧散させようともしている。


  ともかくさ。
  んな訳で、暫くお前の相談乗るとか、
  無理だと思うわ。
  まずは俺が立ち直んなきゃw


  ん…そだね。

  元気出てきたら、またゲームに参加したり、
  メッセに上がったりするから、
  それまで時間くれるか。


  ん、わかった。

  あ、そうだ。仕事、頑張れよ。

  うん、ありがと。

そうして、その日の会話は、終わった。

Sの居なくなったメッセンジャーのウインドウを見詰めたまま、暫し呆然とする。
わたしは、自分の中に「死んでしまいたい」という願望が、依然根深く居座っていた事実を、この出来事によって強く意識し、真っ向から直視している状態に陥っていた。
誰かの自殺を機に、絶対に自殺するな、と言われた、その言葉が呼び水になってしまうとは、何という皮肉だろう…と、考えずにはいられなかった。