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とある離婚

2008/06/20(金) 00:21:39
両親が離婚したのは、わたしが結婚した後のことだった。


父親に女がいる事には、わたしも高校時代から気付いていた。

『どんなに酷い父親でも、
 あなたたちの結婚に影響する。
 だからお母さん我慢するね。』

母親の口癖だった。
それが、未婚の妹たちを残したまま、突然離婚したいと言い出した。
母親の相談を電話で受けた時、彼女の話題によく登場する様になっていた男の存在が、無視出来ないと感じた。

離婚そのものには反対しない。
けれども、その男との再婚を考えて離婚したいと言っているなら、賛成出来ないと言った。
堅気の男ではなかった。
ヤクザ崩れの上、不安定な職に就いていた。

母親は、その男とはそんな関係ではない、と言い張った。
そして今まで父親に受けた仕打ちの数々を論った。

『離婚出来ないなら、死にたい』

そう言って泣き喚く母親に閉口し、『好きにしろ』と突き放した。

両親は、離婚した。
父親は家を出て行き、わたしと殆ど歳が違わぬ女と、すぐに再婚した。
母親の男も、程なくわたしの実家に転がり込んで、母親と暮らし始めた。


離婚からきっかり半年後。
案の定、母親が再婚すると言い出した。
わたしは強く反対した。
男の目当ては、母親が住んでいる住居。
そう確信していた。

『あんたって子は、母親が幸せになろうと
 しているのを、邪魔するの』

電話口で母親は、赤ん坊の様に号泣した。

その男は、今に仕事に行かなくなる。
目当ては、住居だ。
そうはっきり言った。

『彼の事まで愚弄するの』
『私に不幸になれと言うのね』
『昔からあんたはそうだった。
 私の幸せは、全部あんたが潰してきた』
『はっきり死ねと言いなさい。
 死んで欲しいんでしょ?』

連日、深夜に電話をかけてきては泣き叫ぶ。
何を言っても、無駄だった。
疲れ果てて、『好きにすればいい』と言った。
母親は、再婚した。


やがて母親は、住居の名義を男に変えると言い出した。
今度こそわたしは、必死で反対した。

『また私の幸せの邪魔をするんだ』

母親が泣き喚く。
最早この人とは、意思の疎通が出来ないと諦めた。
当然、母親を説得する事は出来なかった。

わたしの実家は、まだ住宅ローンを払っている状態だった。
慰謝料の一部として、住宅ローンはそのまま父親が払い続ける事になっていたが、これには『母親が再婚しないなら』という条件が、ついていた。
名義を男にした上でローンだけを父親に払わせようと画策したが、当然父親は支払いを打ち切り、母親はその行動を不服として調停に持ち込み、惨敗した。
住居のローンは、母親が支払う事となった。

調停終了からいくらもしないうち、男が出て行き、母親は再び離婚した。
案の定、仕事に行かなくなり、そればかりか暴力まで振るう様になったそうである。
住居を手に入れられぬどころか借金まで背負った母親には、用が無くなったのだろう。


調停の結果をわたしに連絡してきた父親は、電話口で快哉を叫んだ。

『どこまでも馬鹿な女だ。
 お陰でこれ以上金を使わずに済んだ。
 礼を言いたいくらいだよ』

『良かったね』と応じた。
確かに、とことん馬鹿な女だ。
言動も常軌を逸している。
でもそれが、わたしの母親だ。
そして、母親の境遇を嘲笑しているこの男が、わたしの父親なのだった。




記憶と事実

2008/06/20(金) 12:13:51
わたしに相談した処で、結局反対される事になる。
それなのに何故、母親は都度わたしに相談していたのか。

ここに、わたしがわたし自身をどうしても信じることが出来ない、大きな理由がある。


母親は、記憶を、自分の都合の良い様に改竄する癖があるのだ。

人間誰しも、強烈な印象を受けたことだけを鮮明に記憶していたり、ちょっとした記憶違いをしたりということは、あると思う。
だが、母親のそれは、尋常ではない。

父親との離婚について、わたしはあまり積極的に賛成はしなかった。
自分にも男が出来た途端にそれかよ…という気持ちもあったし、離婚した後、どうやって生活していく気だ…という心配もあったからだ。
けれども、思い通りに父親との離婚を果たした後、母親の中では、

『しのぶも大賛成してくれた』

という風に、記憶が改竄されていた。
ここまでなら、『好きにしろ』が『大賛成』に変換されているのか…という程度だった。

けれども、再婚についての記憶改竄は、凄まじかった。
どれだけ電話で言い争いをしたことだろう。
その男の何処が信用できないか、どれだけ説明したことだろう。
母親の中では、それらが全て、無かった事になっていた。

『しのぶも、いい人にめぐり合えて
 良かったねって祝福してくれたじゃない』

この時は、言葉を失い…全身に、冷水を浴びせられた様に感じた。


父親との離婚に、大賛成してくれた。
男とのことを、祝福してくれた。
そういう風に記憶を書き換え、信じ込んでいるからこそ、毎度毎度電話口で号泣出来るのだ。

『あの時はこう言ってたのに、
 どうして急にそんな事言うの?』

という訳である。

この時に、それまで『あの時あんたはこう言った』『あの時あんたはこうしていた』と言われていた事全て…果たして真実なのだろうか…そう考えて…わたしの背後は…今まで歩んで来た道は…突然真っ暗になったのだ。


わたし自身、物覚えの良い方ではない。
人と話していて、記憶に食い違いを感じる事や、思い出せない事が、たくさんある。
その度に、わたしも、記憶を自分の都合の良い様に捻じ曲げているのではないか…そう考えてしまう様になった。
何しろこの身体には、あの女の血が色濃く流れているのだ。


誰かと…元夫と、物事の事実関係について論じる時…わたしの記憶とは違うと思っても、わたしはそれを主張出来ない。
間違っているのは、わたしである可能性が高いからだ。
時々、メモや日記に記録が残っているけれど、それを事実と考える事が、怖い。
わたしの主観でしか記録されていないからだ。
元々得意とは言えなかった人付き合いも、益々出来なくなっていった。
今、こうして会話していることを、事実の通りに記憶することが出来るだろうか…そう思うと、恐ろしくなるのだ。
都合の良い様に改竄した記憶に基づく主張を、他人に押し付けることはしたくなかったから、ごく少人数とだけお付き合いをし、記憶を基に喋らなくてはならぬ状況…所謂茶飲み話を回避する様になった。
仕事に関することだけは正確に記憶しなくてはならないから、それに集中する為だった。


こんな状態に、注意欠陥障害が加わると、どんなことになるか…。
正確な記憶を残す為、メモを取る。
が、肝心な時にそのメモがどこにあるか見つけられない。
メモを取ったことすら忘れている時もある。
首尾よくメモを見る事が出来ても、今度はそこに書かれていることが正しいのかどうか…判断は出来ない。
そのくせ、自分の興味のあることに関してだけは異様な記憶力を見せるから、周囲はわたしが記憶力に自信が無いと言っても信じてはくれない。
怠惰、いい加減、不誠実…というレッテルだけが、増えていく…。


この頃から…親元を離れたことで安定していたわたしの精神状態は、再び崩壊し始めたのだと思う。


自分自身の記憶も…経験も…何一つ信じることが出来ない。
今ここでこうして書き記している過去の出来事。
これも、実はわたしが自分の妄想の中で作り上げた記憶なのかも知れない。

けれども彼は…Tさんは、存在している。
わたしの携帯に届くメールが…着信音に、わたしだけでなく職場の人も反応することが…彼の存在を、実証していると思う。
ブログに書く内容に、彼が異を唱えない限り、彼との経験や会話は、事実なのだと思う。