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家......(1)

2008/07/19(土) 10:05:29
  全ての穴を俺に晒したお前が、
  ここまで頑なに拒むのは、
  そこにお前の真実の姿が
  隠されているという事だ。
  ブチ込みてえ。
  暴いてやる。


彼からのメールを読んで、わたしは呆然とする。
わたしの家に行く、という彼に、断りのメールを打った返答だった。



注意欠陥障害であるわたしにとって、『掃除』は、何よりも苦手な作業だ。

それでも、夫と暮らしていた頃は、必死で体裁を整えていた。
『これでも掃除したつもりか』という夫の言葉に打ちのめされながらも、『精一杯、綺麗にしたつもり…』と卑屈な笑みを浮かべていた。

当時の仕事に忙殺される様になると、家事には完全に手が回らなくなった。
夫は、家を出て、別居を始めた。
『田舎過ぎて会社に通うのに不便だし、家も汚いから。』
そう言った。

最初の頃は、週末ごとに帰宅していた。
わたしも、週末前には徹夜で掃除をして、夫を迎えられる様に努力していた。
『相変わらず汚い家だ…』
あれだけ掃除したのに…!という言葉を飲み込み、『そ…そう?頑張ったんだけどな…』と卑屈に笑う。
『努力が足りん』
仏頂面の夫に、これ以上どう努力すればいいの!と叫びたい気持ちを抑え込み、『次はもっと頑張るね』と言っていた。

やがて、わたしの仕事量が殺人的に増え始めた。
毎日の睡眠時間は、3時間とれればマシな方…という状態になった。
注意欠陥障害の二次障害で、うつ病となって通院していたわたしだったが、病院に通う時間すらも、取れなくなり始めた。

家に帰る度、夫は言う。
『汚い。安らげない。主婦失格だな』
主婦業をやって欲しいのなら、わたしの仕事量を何とかして!
そう叫びたかった。
わたしは、夫の会社で働いていたのだ。
『だって…わたしが今凄く忙しいのは、
 あなたも知ってるでしょう?』
『努力すれば、何とかなるだろう?』
『……注意欠陥障害だから、努力だけでは
 どうにもならないって…言わなかったっけ?
 効率的に掃除をするにはっていう、
 回路が脳に無いんだよ…?』
『どうでもいい事には、凄い集中するじゃないか。
 その力を家事に向ければいい。
 そういう努力をすればいい』

だから!
それが出来ていればわたしは、二次障害になど罹らなかった!
自分でも何故、それが出来ないのだろうかと苦しむ事はなかった!

『…お願い、注意欠陥障害について、
 少し学んで欲しい…。
 わたしの持ってる本を、読んで…?』
『そんな時間は俺には無い』
『…それなら、わたしの仕事量を、
 何とかして…?』
『お前の部下を雇おうとしているだろう?
 それまで待て』
『………』

やがて夫は、家に帰ってこなくなった。
『夫の安らげない家なんて、最低だ』
と言いながら。

夫の言う通り、わたしの部下が雇われたが、結果的にわたしの仕事量は、もっと膨れ上がる事になった。
殆ど寝ない生活を、どのくらい続けただろうか。
食事をすれば眠くなる…という理由で、食事もまともに摂らなくなった。
両手を壊したのも、この頃だ。

会社で夫に、自分の窮状を訴える。
『努力しろ』
夫からは、それしか返って来ない。
家の中は、とても人間が住んでいるとは思えない状態に、なっていく。
自分でも、こんな家は嫌だ、と思うが、最早どこから手をつけて片付ければ良いのか判らない。
ハウスキーパーを頼もうともしたが、家の場所が田舎過ぎて、業者が見付からない。

『そんな田舎に住んでるからだ』
夫が嘲笑う。
『そこに家を建てたのは、あなたでしょう?』
そう言うと、
『そこが気に入ったと言ったのは、お前だ』
と言われる。
その通りだった。

『こっちに引っ越せと言ってるだろう?
 そうすれば、少しは楽になる』
『犬や猫が居て、こっちに家なんて見付からないよ』
『犬や猫を欲しがったのはお前。自業自得だ』
反論できない。

こうしてわたしは、どんどん追い詰められていった…。




家......(2)

2008/07/19(土) 13:02:08
『離婚してくれ』

その言葉は、会社で仕事中だったわたしのデスクトップに、突然メッセンジャーを使って送られてきた。
唖然とした。

『どうして?』
『お前は、家庭というものを知らな過ぎる。
 主婦としても完全に失格だ。
 これ以上は我慢できない』

周囲の物音が、すぅっと遠くなり、消え去った。
顔を上げて、夫のデスクを見た。
夫は、目を上げなかった。
無表情で、自分のPCのモニターを見つめ続けていた。



わたしが注意欠陥障害だと判った時、わたしから夫に離婚を申し入れた。
脳の構造上の欠陥である以上、わたしの家事能力は、努力で改善できることではない。
夫の求める家庭を作ることは、わたしには出来ない。
その時、夫は言った。

『家事だけが妻の仕事じゃない。
 仕事で俺を支えてくれればいい』

わたしは、その言葉通り、夫の為に、仕事で貢献してきたつもりだった…。



『あの時、そう言ってくれたのに…』
そう送信した。
『限度というものがある。
 もう限界だ。』


『あんたって本当に嫌な子だね。
 そのうち(夫の名)さんにも嫌われるに決まってる』

母親の声が、雷鳴の様に轟いた。
わたしと電話で言い争いになる度に、彼女が呪文の様に繰り返していた言葉だった。
その通りに、なった…。

わたしの中で、何かが、粉々に砕け散った……。


『話し合いたい』
と申し入れても、夫の返答は
『もう決めた。
 話し合う事はない。
 忙しくてそんな時間もない』
だけ。

こんな状態で、それ以上仕事を頑張れる筈もない。
退社する準備を整えながら、表面上は何事もなかった様に振る舞い続ける。

もう少しの辛抱。
退社さえしてしまえば、自分の本心を隠さなくてもいい。
泣き叫びたいのを堪えて、ニコニコしていなくてもいい。
もう少し。
もう少し…。

『話し合えない?』
隙を見て、夫にメッセンジャーを送る。
『忙しい』
夫は、わたしを一瞥もしない。

わたしは会社を辞めた。
家で、呆然と暮らす日々が始まった。
ここ数年の忙しさで、家の中は既に、人間の居住空間とは思えぬ様相を呈していた。
そんな家の中で、ひたすら眠るだけの生活を送っていた。


暫くして、夫と、もう一人の役員が家にやって来た。
わたしが会社に残していた私物をダンボール箱に詰め、持って来たのだ。
ダンボール箱は、役員の手で玄関前に置かれた。
夫は、車から降りても来なかった。

家の中に、ダンボール箱を運んで、開けた。
わたしの私物が、徹底的と言える程、会社から排除されたのが判った。
馴染みのないものも、いくつか出て来た。
なんだろう、これ…?
眺めているうちに、気付いた。
夫の私物…しかも、壊れたものや、古過ぎるもの。
不用品。
ゴミ。

わたしは、泣いた。




家......(3)

2008/07/19(土) 16:17:35
散らかり果てた家の中で、ひたすら眠り続けた。
時々、以前から参加していたネットゲームに参戦して、現実を忘れ、ゲームの世界に没頭する。
ゲームが終わると、再び眠り続ける。


たまに、夫から携帯にメールが入る。

『いつまで遊んでいるつもりですか。
 そろそろ次の仕事を見つけて、
 自立してくれませんか。
 それまで離婚は待ってあげますから』

夫は、わたしが完全に壊れてしまったのが、判っていないのだろうか…?
それとも、そんな事はどうでも良く、ともかくわたしと縁を切る事しか考えていないのだろうか…?

数ヶ月ぶりに夫から電話があった時、わたしは、声を出そうとしても出ない事に気が付いた。
無理に出そうとすると、悲鳴の様な絶叫が迸りそうになる。
そんな声を出してしまったら、自分が益々取り返しのつかない事になりそうだった。
必死で絶叫を飲み込むと、声も出ない。

『いい加減にしてくれ』

無言のわたしに、夫はうんざりした声で言うと、電話を切った。

メールで夫に、声が出せないと知らせたが、夫からは『早く治して自立しろ』と返事が来ただけだった。


随分長い間、わたしの本能の奥底で呪詛の様に呟かれていた言葉が、日に日に大きくなっていく。
その為に一番、確実な方法は…?
全てが終わった後、誰にも迷惑をかけない方法は…?
ネットで情報を探し求め…結果、誰一人として迷惑をかけない、などという方法は、無い事を知る。
けれども、もうこれ以上、存在しているのは嫌だ…。

家の中のものが、次々に壊れ始めた。
お風呂が。
トイレが。
電化製品が…。
けれどもわたしは、壊れたそれらを眺めているだけだった。
修理しようという意思も、何とかしなければという意思も、湧いて来なかった。

こんな状態の中、今にして思えば幸いだった事は、食事は最低限、摂っていた事だろう。
時々参加していたネットゲームでの思考力を確保する為、参戦している間は、コンビニで調達してきた食料を口にしていたのだ。
もしもこの時、ゲームに参加していなかったら、わたしは食事すら摂らなくなっていたに違いない。
実際、参戦していない時は、食べていなかったのだから。

また、コンビニに行くことで、声が完全に出ない訳ではない事にも気付いた。
『いいえ』『○番ワンカートン』
このふた言だけだったが、店員相手に喋る事は出来ていたのだ。


自分の存在を、消したい。
でも出来ない。
誰かに必ず迷惑をかけてしまうから。
でも、もう存在していたくない…。


そんな思考の堂々巡りの中、死体サイトやグロ動画サイトを巡り、そうなった自分を想像する。
自己の存在さえ消せてしまえば、後の自分がどうなろうが、知った事ではない。
むしろ、静かに腐敗していく死体を、タイムラプスビデオで撮った動画には、とても魅了された。
何をやらせても駄目な子で、夫からも見放される様なわたしは、こうして虫たちの栄養源になった方がずっと有意義だ、と…。
腐っていくのだ。
この家と共に。

それは、とても甘美な結末に思えた。

その一方で…近所の人の事を、思う。
すぐ傍の家でそんな死体が発見されたら、普通の神経の人ならどれだけ不愉快な事だろう。
また、そうなる前に自分に出来る事はなかっただろうか…などと考え、苦しむ人も居るだろう。
やはり、実行なんか出来ない…。


そんな事ばかりを考えながら、声を出さずに涙を流す毎日を、過ごしていた……。