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2008/10/17(金) 18:15:32
3週間ぶりに、彼に逢った、ある日。
開口一番、彼が言った。
お前…何度か脱皮したな。
すぐに脳裏に浮かんだのは、『一皮剥ける』という表現だった。
今後、何処でどう生活していくか…という選択を迫られている身としては、懊悩しながらも様々な取捨選択を繰り返しているうちに、外見から推察される精神的変化でも見せているのだろうか。
そう思った。
一緒に、彼の住む部屋に向かう。
彼の部屋の前の廊下には、ジョロウグモが見事な巣を張っていた。
わぁ…このクモ、大きくなったねぇ。
彼もわたしも、クモに対しての忌避感が全く無い。
目に入る場所に巣を張られても、直接邪魔になる事がなければ巣は壊さないし、時々観察するのを楽しんだりもする。
だろう?
彼が、答える。
こいつな…。
脱皮する度に、大きくなってくんだ。
うん、クモってそうだよね。
お前は…一体何回脱皮した?
…はい?
暫く見ない間に、随分デカく
なってるじゃねえか!
この短期間に、何食えば
そんなに育てるんだ!?
やっと、理解した。
彼は、わたしが肥ったと言っているのだ。
脱皮って…そういう意味…。
特に、食生活に変化があった訳ではない。
それでもわたしは、周囲が驚く程の速度で肥える時がある。
大抵、大きなストレスを抱えている時だ。
そしてわたし自身は、自分の見た目に無頓着な為、誰かから指摘されるまで肥えた事に気付かないのだ。
ストレスが、わたしの体型に、どんな影響を与えているのかは判らない。
けれども、解消されると、自然に元の体型に戻るらしい。
この時も、急に痩せたね、と驚かれるから、それと気付く。
無頓着なのは、体型の変化に対してだけではない。
自分がストレスを感じているという事に対しても、同様だ。
つまり、胃が痛む様になったり、急に肥った事を指摘されたりした時に、自分が大きなストレスを抱えている事に、初めて気付く。
まるで他人事の様に、『ああ…どうやらこの状態は、わたしにとってストレスらしい…』と、認識するのだ。
…ま、今の状況のお前に、
体型にまで気を配れ、と言うのは、
ちと酷だろうな。
だが…来年中には痩せろよ。
出来なけりゃ棄てる。
結局のところ、わたしが自分自身に無頓着なのは、自分を慈しむ事が、出来ずにいるからなのだろう。
風邪をひきかけたら早めに養生する…などといった体調管理は行うが、これは自分の為ではなく、会社に迷惑をかけない為だ。
自分の体型に気を配る事、すなわち自分に興味と関心を持つこと…。
出来るだろうか、わたしに…。